朝日日本歴史人物事典 「志斐公麻呂」の解説
志斐公麻呂
生年:天平9(737)
奈良時代の仏工。『正倉院文書』には,天平宝字6(762)年に造石山院所の仏工となり,未選,労六歳,年二十六,左京九条三坊の人と記される。己智帯成の指導のもと,石山寺の本尊である塑造の丈六観音像および6尺神王像2体の制作に従事した。
(浅井和春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(浅井和春)
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[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...