日本歴史地名大系 「志村五城兄弟誕生地」の解説 志村五城兄弟誕生地しむらごじようきようだいたんじようち 岩手県:水沢市羽黒堂村志村五城兄弟誕生地[現在地名]水沢市羽田町羽黒(はぐろ)山麓にある。五城・東嶼・石渓の三人は仙台藩儒者として知られ、志村三珠樹と称された。誕生地は中山邸跡として山林中にあるが、荒廃している。裏山に志村家旧墓地があり、祖父母の墓がある。志村家は東山大原(ひがしやまおおはら)(現東磐井郡大東町)の出身で、祖父実信が羽黒堂(はぐろどう)村に来て医を業とし、ここで父実弘が生れ、実弘は水沢留守氏家臣江古寿心の女須和を迎えて生れたのが三兄弟である。五城は江戸の昌平黌に学び、仙台藩の儒臣となり、伊達斉宗の副伝役、養賢(ようけん)堂(藩校)指南役となった。天保三年(一八三二)八七歳で没、仙台永昌(えいしよう)寺に葬られた。東嶼は岩谷堂(いわやどう)(現江刺市)の川島淳安(求巳)に学び、江戸昌平黌に遊学、伊達重村の知遇を受け、養賢堂儒役となり、幕府に召出されて昌平黌教授となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by