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伊達重村 だて しげむら

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊達重村 だて-しげむら

1742-1796 江戸時代中期-後期の大名。
寛保(かんぽう)2年4月19日生まれ。伊達宗村の次男。宝暦6年陸奥(むつ)仙台藩主伊達家7代となる。宝暦・天明の飢饉(ききん)や幕府の普請課役などで借金の増大にくるしむ。学問をこのみ,和歌にもすぐれる。「封内風土記」などを完成させた。寛政8年4月21日死去。55歳。通称は藤次郎。号は徹山。家集に「掬月集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊達重村

没年:寛政8.4.21(1796.5.27)
生年:寛保2.4.19(1742.5.23)
江戸時代中期の仙台藩7代藩主。6代藩主宗村の次男。生母は坂信之の娘信子(与世の方,性善院)。宝暦6(1756)年15歳で襲封直後前年の大飢饉の後始末におわれ,34年の治世の間,天明の飢饉をはじめ凶作,飢饉が続き,農村の荒廃,幕府の課役,財政の破綻により,借金60万8600両,借米2万4200両を抱えるに至った。家臣の経済も同様で,城下から知行地へ移り住む者が多くなった。藩は買米制の改正,藩札の発行,銭貨の鋳造,蔵元からの借入,家臣からの上知,借上,献金などの策を講じた。金上侍(献金の額に応じて百姓,町人に侍身分を与えるなどしたもの)が多く出現し始めたのもこのころからである。寛政2(1790)年致仕。「アケ暮ニオモフモクルシ国民トトモニアソハン世ヲネカフ身ハ」の辞世の句を残している。<著作>『知々精義』『中庸弁』『執中弁』,『掬月集』正続12冊

(齋藤鋭雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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