日本の城がわかる事典 「志村城」の解説 しむらじょう【志村城】 東京都板橋区にあった平山城(ひらやまじろ)。豊嶋氏の一族の志村氏により築かれたといわれるが、築城年代は明らかではない。享徳の乱勃発後の1456年(康正2)、下総を追われた千葉自胤(武蔵千葉氏)は赤塚城(同区)を築いたが、志村城は赤塚城の支城として武蔵千葉氏の一族の千葉信胤が居城としていた。赤塚城は同城から西へ約3kmの距離に位置している。1524年(大永4)、北条氏綱は同城を攻めて落城させ、北条氏の支配する城となった。その後の志村城については不明なことが多いが、1590年(天正18)の小田原の役後に廃城となったと考えられている。城跡の遺構は宅地化により失われてしまったが、かつての二ノ郭跡は熊野神社になっており、その境内には志村城の空堀の遺構が残っている。都営地下鉄三田線志村三丁目駅から徒歩約3分。◇千葉城、板橋城、篠田城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報