朝日日本歴史人物事典 「志田野坡」の解説
志田野坡
生年:寛文2(1662)
江戸前期の俳人。別号は浅生庵,高津野々翁など。越前福井の生まれ。少年時代より江戸の越後屋に奉公し両替店の手代を勤める。松尾芭蕉に入門した時期は不明だが,元禄6(1693)年にはしばしば深川の芭蕉庵を訪れている。翌7年には越後屋の同僚の小泉孤屋,池田利牛と共に『すみだはら』の編集に当たり,俳人としての地位を確保した。同書は芭蕉晩年の「かるみ」を代表する選集として知られている。同14年,40歳のころ越後屋を辞めて俳諧師を志し,居を大坂に移した。その後多病ながら精力的に行脚を重ね,中国地方から九州にかけて一大勢力を築いた。梅従作の「野翁行状記」には,盟約の門人は一千余人,俳諧を通じて接触した者は三千余人を数えると記している。温厚な人柄であったことは,この「行状記」や建部綾足の「紀行芦のやどり」に記されている。<参考文献>大内初夫『芭蕉と蕉門の研究』
(田中善信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報