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志田野坡 しだやば

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

志田野坡
しだやば

[生]寛文3(1663).福井
[没]元文5(1740).1.3. 大坂
江戸時代中期の俳人。志太とも書く。蕉門十哲の一人。本姓,竹田氏。通称,弥助。別号,野馬,樗木社 (ちょぼくしゃ) ,樗子,浅茅生庵,浅生庵,無名庵,高津野々翁,無名庵野々翁,紗方斎,紗帽子,秋草舎,半醒堂,三日庵,百花窓,蘇鉄庵,かゞし庵,常用庵,照笛居士。越前福井の商家に生れ,のち江戸に出て越後屋両替店の番頭となり,宝永1 (1704) 年辞して大坂に移った。大坂から中国,九州方面に門人が多かった。作風は平明。芭蕉晩年の風調を最もよく示す『炭俵』の撰者の一人。『万句四季之富士』 (15) ,『放生日』 (26) ,『野坡吟草』 (59) などの編著がある。

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朝日日本歴史人物事典の解説

志田野坡

没年:元文5.1.3(1740.1.31)
生年:寛文2(1662)
江戸前期の俳人。別号は浅生庵,高津野々翁など。越前福井の生まれ。少年時代より江戸の越後屋に奉公し両替店の手代を勤める。松尾芭蕉に入門した時期は不明だが,元禄6(1693)年にはしばしば深川の芭蕉庵を訪れている。翌7年には越後屋の同僚の小泉孤屋,池田利牛と共に『すみだはら』の編集に当たり,俳人としての地位を確保した。同書は芭蕉晩年の「かるみ」を代表する選集として知られている。同14年,40歳のころ越後屋を辞めて俳諧師を志し,居を大坂に移した。その後多病ながら精力的に行脚を重ね,中国地方から九州にかけて一大勢力を築いた。梅従作の「野翁行状記」には,盟約の門人は一千余人,俳諧を通じて接触した者は三千余人を数えると記している。温厚な人柄であったことは,この「行状記」や建部綾足の「紀行芦のやどり」に記されている。<参考文献>大内初夫『芭蕉と蕉門の研究』

(田中善信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

志田野坡
しだやば

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