コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

金印 きんいん

6件 の用語解説(金印の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金印
きんいん

「倭奴国王印 (わのなのこくおういん)」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

きん‐いん【金印】

黄金で作った印。古代中国では諸王・諸侯御史大夫などが持っていた。
漢倭奴国王印(かんのわのなのこくおうのいん)のこと。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

金印【きんいん】

漢委奴(かんのわのなの)国王印

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

日本の企業がわかる事典2014-2015の解説

金印

正式社名「金印株式会社」。英文社名「KINJIRUSHI Co., Ltd.」。食料品製造業。昭和4年(1929)前身の「小林商店」創業。昭和12年(1937)粉わさび「金印わさび」「銀印わさび」発売。同27年(1952)設立。本社は名古屋市中川区八幡本通。加工食品メーカー。わさび製品のパイオニア。生おろしわさび・粉わさび・ねりわさびの製造・販売を行う。わさび原料の健康食品・化粧品も手がける。

出典|講談社
(C)Kodansha 2011.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

きんいん【金印】

黄金で作った印章。古代の中国で、帝王が諸王・諸侯に与えたもの。
福岡県志賀島で発見された「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」の刻字のある金印。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金印
きんいん

「漢委奴国王」と陰刻された純金製の印。1784年(天明4)筑前(ちくぜん)国那珂(なか)郡志賀島(しかのしま)村(福岡市東区)で百姓甚兵衛(じんべえ)により発見された。福岡藩主黒田家に納められ今日まで伝わる。印には隷書(れいしょ)体で「漢委奴国王」の5字が3行に陰刻されている。読み方には諸説あるが、江戸後期、藤井貞幹(ていかん)は「委奴」を「いと」と読み、筑前の怡土(いと)(伊都)国に比定した。その後1892年(明治25)三宅米吉(みやけよねきち)により「漢(かん)の委(わ)(倭)の奴(な)の国王」と読まれ、奴を古代の儺県(なのあがた)、いまの那珂郡に比定されて以来この説が有力である。『後漢書(ごかんじょ)』東夷(とうい)伝に、「建武中元二年(西暦57)倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武(こうぶ)賜うに印綬(いんじゅ)を以(もっ)てす」とみえるが、金印の発見は『後漢書』のこの記事を裏づけるものである。当時奴国は大陸との交易により繁栄し、倭の代表的存在であった。
 金印発見の状況は、甚兵衛の口上書によると、甚兵衛の田のある叶の崎(かなのさき)の溝を改修していたところ、溝岸の地中に2人持ちほどの石があり、その下の石囲いの中に金印が納められていた、という。金印の発掘場所については、1913年(大正2)九州帝国大学の中山平次郎が志賀島の阿曇(あずみ)家所蔵の絵図などから博多(はかた)湾の対岸にあたる古戸を発掘地点とし、現在「漢ノ委奴国金印発光之処」という記念碑が建てられている。しかし、現地が海に面した断崖(だんがい)にあり水田遺構もなく、古戸という地名も一致しないため、島の北西の叶の浜(かなのはま)とする説もある。金印出土遺跡の性格については古くから諸説あるが、代表的なものとして、(1)伴信友(ばんのぶとも)の隠匿説、(2)菅政友の墳墓説、(3)橋詰武生(たけお)のドルメン説、(4)榧本杜人(かやもともりと)の支石墓(しせきぼ)説、(5)水野祐(ゆう)の磐坐(いわくら)説などがある。しかし、いまだ金印の出土地点や出土状況が不明確なため、いかなる性質の遺構であったか断定できない。旧通産省工業技術院(現独立行政法人産業技術総合研究所)の測定によると、印面の1辺の長さの平均は2.347センチメートル、高さ2.236センチメートル、重さ108.729グラムで、鈕(ちゅう)は蛇を形どった蛇鈕である。辺の長さは漢代の1寸の規格に適合する。江戸時代後期、松浦道輔(みちすけ)によって金印偽作説が出されて以来、多くの偽作説、私印説が出されたが、今日では真印説が有力である。1954年(昭和29)国宝に指定された。[井上幹夫]
『藤間生大著『埋もれた金印』(岩波新書) ▽大谷光男著『研究史金印』(1974・吉川弘文館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の金印の言及

【倭奴国王印】より

…《後漢書》にみえる光武帝が建武中元2年(57),倭奴国王に贈ったとされる金印。1784年(天明4)2月23日,博多湾志賀島で百姓甚兵衛が水田の溝を修理していたところ,二人持ちの大石が現れ,これを掘り起こすと金印が出てきたと伝えられる。…

※「金印」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

金印の関連キーワード兼松セキAiHOケーエスケーしんわエトーフタバマルホ貝印東部瓦斯

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

金印の関連情報