日本歴史地名大系 「志賀摩御厨」の解説 志賀摩御厨しかまのみくりや 三重県:四日市市南部地区鹿間村志賀摩御厨現四日市市鹿間(しかま)町付近に比定される伊勢神宮領。成立・伝領などは不明。「神鳳鈔」に「内宮志賀摩御厨」と現れる。康正二年(一四五六)には伊勢因幡入道が、五〇〇文を「伊勢国志賀摩段銭」として京済している(康正二年「造内裏段銭并国役引付」)。因幡入道は幕府奉公衆に属する伊勢貞勝(貞仲)であるが、彼の知行分と神宮領との関係は不明である。文正元年(一四六六)の内宮禰宜庁庁宣案(氏経卿引付)には、<資料は省略されています>とある。史料によれば、この御厨は実質的には散在する口入上分田よりなっており、口入所(口入神主ともいう)荒木田氏経の私領のごときものであったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by