中世の年貢の一種。〈地利(ちり)上分〉〈交易上分〉〈供祭(くさい)上分料〉などといわれ,土地や商業活動の収益の一部を,社寺の供祭物,朝廷の供御(くご)として貢納したものを指す。上分はまた〈ハトヲ〉〈御初穂物〉と呼ばれることもあり,原義は初穂すなわちその年はじめて収穫した穀物を神仏または朝廷に最初に奉ったものの称であったと思われる。平安末期の飛驒国では,同国の一宮の仏神田に八講田,彼岸田などとならんで上分田が設置されていたし,摂津国勝尾寺文書にある多数の中世の売券,譲状には,田畠の負担として本所当(ほんしよとう),加地子(かじし)のほかに〈春日御年貢の炭,上分米〉があったことが記されている。しかし平安末期から全国的に荘園の形成が進むなかで,伊勢,賀茂,石清水などの大寺社は各地に荘園,御厨(みくりや)を設定してゆき,その所領から納められる官物(かんもつ)(年貢のこと)の一部ないし全体を,寺社の供祭の費用たる〈上分料〉として位置づけていった。例えば伊勢神宮領である下総国の相馬御厨では,御厨を寄進した在地の領主千葉氏が神宮の〈供祭上分〉として〈田畠の所当官物〉を納入し,みずからは〈加地子ならびに下司職〉の権利を所持するとしている。このように,荘園制の形成とともに上分は仏神物として寺社領主に納入する年貢そのものの意味をもつように変化したが,さらにこれら寺社は仏神物として集積した年貢を直接に供祭物にあてるよりも,むしろ金融の資本に転用し〈神用のための上分物〉と称してさかんに高利貸活動を行った。すでに12世紀の前半,比叡山延暦寺に属する日吉社(ひえしや)の神人(じにん)たちは上分米を資本に貸付けを行い,高利を取っていた事実がみられる。中世の高利貸(借上(かしあげ))の起源がここにあり,資本たる上分物は仏神物としての宗教的権威づけがなされていたのである。
→供給(くごう)
執筆者:斉藤 利男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世,神仏に上納した貢進物。また年貢のこと。平安初期から史料に「地利(ちり)上分」「供祭(くさい)上分」などとみえ,本来は,神仏への貢進物をさした。平安後期以後,荘園制が形成されるなかで,諸寺社は所領からの収取物を上分と称することによって,みずからの年貢収取権を宗教的に権威づけた。そのため上分はしだいに年貢そのもののことと考えられるようになり,鎌倉後期頃からは,寺社に納めるものにかぎらず,年貢一般をさすようになった。この場合,しばしば土地を意味する下地(したじ)の対語として用いられた。日吉神人(ひえじにん)のように,神仏への上分を元手に利殖行為を行う者もあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…大立者の推挙により立者に昇進し得る最短距離にいた。 相中上分(あいちゆうかみぶん)役者の階級の一つ。1878年東京新富座の開場に際し,相中から分離し上位になった。…
…公領や荘園において,所当(年貢)や公事(夫役,雑公事)などの剰余労働(または剰余生産物)を上分(じようぶん)というのに対し,これらを生み出す土地(田畠などの耕地や山野未開地)をいう。13世紀以降では,さらにすすんで土地とそこで生産活動に従事する人間との結びつきそのものをさすに至る。…
※「上分」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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