日本歴史地名大系 「志賀野庄」の解説 志賀野庄しがののしよう 和歌山県:海草郡野上町志賀野庄貴志(きし)川とその支流真国(まくに)川が合流する付近より上流の北側付近を荘域とする。高野山領の荘園であったと思われる。「続風土記」に「荘名古書に見えす、高野山蔵る所の弘安八年の文書に志賀郷の名あり、恐らくは此を指すならん」とある。高野山領真国庄(現美里町)の西隣に位置するため、真国宮(現美里町の丹生神社)神主高岡家文書中に地名がみえ、延徳三年(一四九一)二月一四日の最性坊水田譲状に「志加野・真国□□(番頭)」、また天正三年(一五七五)一二月七日の屏坊清算田地売渡状には「しかのゝ庄ヒカシノ村」とあり、真国川沿いの東野(ひがしの)村が志賀野庄に含まれたことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by