日本歴史地名大系 「応声寺」の解説 応声寺おうしようじ 群馬県:館林市館林城下木挽町応声寺[現在地名]館林市西本町市街地の西端で愛宕神社の南、旧木挽町(こびきちよう)通西側にある。館林山浄徳院と号し、時宗。本尊は阿弥陀三尊。本山は相模藤沢清浄光(ふじさわしようじようこう)寺。徳治元年(一三〇六)清浄光寺二代真教が関東化益の際に来て一寺を建立、念仏弘道の道場となし長福(ちようふく)寺と称した。長福寺の創建された位置については館林山旧記(応声寺文書)にかつては城内にあって時の太鼓を世話していたが、曲輪が手狭になったので鞘(さや)町(西本町)へ移り、毎日二人ずつ昼夜城に時を打たせに遣わしたという。また曲輪内道場(どうじよう)小路と称するところに寺跡があったという。同所は旧藩時代には「太鼓櫓ところ」といわれ、二ヵ所があげられている。昭和四五年(一九七〇)地表約一メートル下より、おびただしい墓石類が出土し、この付近が応声寺の前身である長福寺の境内地と推定された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by