忠成王(読み)ただなりおう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「忠成王」の解説

忠成王 ただなりおう

1222-1281* 鎌倉時代,順徳上皇皇子
貞応(じょうおう)元年生まれ。承久(じょうきゅう)の乱で父順徳上皇が佐渡(新潟県)に流された翌年誕生。親王宣下をうけることなく,石倉(蔵)宮(いわくらのみや)または広御所宮とよばれた。弘安(こうあん)3年12月13日(一説に11日)死去。59歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「忠成王」の解説

忠成王

没年:弘安3.12.13(1281.1.5)
生年:貞応1(1222)
順徳上皇の皇子。母は従三位藤原清季の娘。上皇が佐渡に流されたのちに生まれる。仁治3(1242)年幼帝四条天皇が死ぬと,九条道家らによって皇嗣に押されたが,鎌倉幕府反対によってその即位は実現しなかった。石倉(蔵)宮と称す。没日は11日との説もある。

(土谷恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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