日本歴史地名大系 「性応寺跡」の解説 性応寺跡しようおうじあと 和歌山県:和歌山市河南地区和歌村性応寺跡[現在地名]和歌山市和歌浦中二丁目桜樹山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。和歌浦(わかのうら)にあったが、明治初年、現鹿児島県加治木(かじき)町朝日(あさひ)町に移転。当初は無量寿山阿弥陀寺と号した。明和七年(一七七〇)に一四代住職了融が記した紀州性応寺由緒(龍谷大学図書館蔵)によると、楠木正成の家臣安満右馬尉明武が了願と改め、和歌浦に阿弥陀寺という天台宗寺院を建立したが,夢のお告げで京都東山に詣り、本願寺三世覚如の教化で浄土真宗に改宗したとする。しかし江戸時代、性応寺は京都西本願寺の直末ではなく、興正(こうしよう)寺(現京都市下京区)下の中本山であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by