恭礼門院(読み)きょうらいもんいん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「恭礼門院」の解説

恭礼門院 きょうらいもんいん

1743-1796* 江戸時代中期,桃園天皇女御
寛保(かんぽう)3年2月4日生まれ。一条兼香(かねか)の娘。宝暦5年入内(じゅだい)し,英仁親王,貞行親王を生む。明和7年英仁親王が後桃園天皇として即位すると翌年皇太后となり,院号うけ,出家して新女院,のち女院と称した。寛政7年11月30日死去。53歳。名は富子。幼名は佐保君。

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367日誕生日大事典 「恭礼門院」の解説

恭礼門院 (きょうらいもんいん)

生年月日:1743年2月4日
江戸時代中期;後期女性。桃園天皇の女御
1795年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報