悟性寺跡(読み)ごしようじあと

日本歴史地名大系 「悟性寺跡」の解説

悟性寺跡
ごしようじあと

[現在地名]高岡町小山田

小山田おやまだの門前地区にあった。鹿児島城下福昌ふくしよう寺の末寺曹洞宗本尊薬師如来。寺伝によれば、初め天台宗であったが荒廃し、永徳年間(一三八一―八四)穆佐むかさを領した伊東氏によって厳和を開山として再興され、臨済宗に改められたという(三国名勝図会)。当寺にあった古鐘は高さ二尺五寸余・囲り六尺四寸の朝鮮鐘(同書)、永徳元年黄鐘(一一月)二〇日、「伊東藤原氏駿河守 祐満」を大檀那とし、「開山住持沙門 長徳置之」などの追銘が刻されていた(日本古鐘銘集成)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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