朝日日本歴史人物事典 「惟宗直宗」の解説
惟宗直宗
平安前期の明法家。もとの姓は秦公。元慶1(877)年12月,弟直本と共に本籍地を讃岐国香川郡(高松市)から平安京左京六条に移すことを許され(これを京貫といった),同7年12月,同族の男女19人と「惟宗朝臣」を賜った。時に従五位下で大判事と明法博士を兼任。以後明法家惟宗氏の地位を着実に築いていく。宇多天皇が藤原基経に与えた勅書のなかに中国古代の宰相を意味する「阿衡」の語があり,その解釈から引き起こされた阿衡事件(887)では,翌年宇多天皇が,問題の個所は橘広相が勝手に作成したものだ,といって責任を転嫁する。その際広相の罪が流罪に相当すると勘申したのが直宗である。こうしたことから明法博士は9世紀後半になると讃岐氏に代わって直宗,直本兄弟の惟宗氏の家系から出ることになる。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報