日本歴史地名大系 「惣新田村」の解説 惣新田村そうしんでんむら 埼玉県:幸手市惣新田村[現在地名]幸手市惣新田長間(ながま)村の北東、庄内古(しようないふる)川左岸の沖積地に位置する。東は下総国葛飾郡花島(はなじま)村など、南は椿(つばき)村(現杉戸町)、北は権現堂(ごんげんどう)川を隔てて下総国葛飾郡江川(えがわ)村(現茨城県五霞村)など。庄内古川・権現堂川の自然堤防の微高地と後背低湿地からなる広大な新田地。もとは浅間(せんげん)池・中島(なかじま)沼などがあった。江戸時代初期は宇和田(うわだ)村に所属していたが、開発が進むにつれ惣新田領と称されるようになったという(郡村誌)。 惣新田村そうしんでんむら 茨城県:北相馬郡利根町惣新田村[現在地名]利根町惣新田新利根川南岸に所在。南は加納新田(かのうしんでん)村。万治元年(一六五八)に惣百姓の請負によって開発された新田で、寛文元年(一六六一)に検地が行われた(利根町史)。新利根川に沿って集落が形成され、その南に広がる耕地は短冊形の地割が行われ、治兵ヱ前(じへえまえ)・半左衛門前(はんざえもんまえ)などの小字名が付けられている。「各村旧高簿」には「惣新田」とあり、明治元年(一八六八)には旗本大田八十郎知行地二四八・二八三五九石、末高杢左衛門知行地四・五七五石、中島鎮太郎知行地三・八七五石、平岡与右衛門知行地一七九・〇一四〇五石、間部篤三郎知行地三・八〇三石、藪益次郎知行地二・一四四石、天領一五・六二一三六石の七給支配であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by