愛染堂(読み)あいぜんどう

日本歴史地名大系 「愛染堂」の解説

愛染堂
あいぜんどう

[現在地名]高野町高野山

壇上伽藍の下の壇北側に南面して位置し、大塔の東隣にあたる。新学しんがく堂ともいう。本尊は愛染明王。建武元年(一三三四)四月一四日の後醍醐天皇綸旨(宝簡集)に「於高野山金剛峯寺、率供僧七十二口学侶百二十人、可被始行不断愛染王護摩并長日談義、且以所被寄附之四至内旧領乃貢、為彼料所、殊可奉祈四海清平 玉体安穏之由、可令下知寺家給者」とあり、このとき創建された。この綸旨を受けた東寺長者道意は、翌一五日に東寺長者法務御教書(宝簡集)と七ヵ条からなる事書(同集)を高野山に下した。後者には本尊は「可被造立御等身愛染王像、功程可為寺家沙汰」、道場は「建立護摩堂尤可然、出来之間、先於西塔可始勤行」と記される。同年八月一六日、後醍醐天皇は再び愛染護摩ならびに長日談義を始行すべきことを命じている(同集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報