感応寺跡(読み)かんのうじあと

日本歴史地名大系 「感応寺跡」の解説

感応寺跡
かんのうじあと

[現在地名]豊島区目白三―四丁目・西池袋二丁目

天保年中(一八三〇―四四)に当地に所在した日蓮宗寺院。長耀山と号し、谷中やなか感応寺の寺基を継承する寺院として建立された。応永年中(一三九四―一四二八)の建立を伝える谷中感応寺は初め日蓮宗で長耀山と号し、近世前期には同宗不受不施派の拠点寺院の一つとして活動していた(「身延山久遠寺旧記」など)。しかし江戸幕府は寛文年中(一六六一―七三)以降同派禁圧の政策をとるようになり、元禄一二年(一六九九)天台宗に改宗している。天保四年、日蓮宗長耀山感応寺を建立することが決定されたが(「豊島区史」など)、この再興には一一代将軍徳川家斉の寵姫美代の方の実父で、中山法華経寺派の僧日啓の画策があったとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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