朝日日本歴史人物事典 「慧琳尼」の解説
慧琳尼
生年:享保3(1718)
江戸中期の真言宗の尼。字は法泉,蓮心院と号す。丹波国園部藩(京都府)藩士庄林守武の娘。俗名は通子。はじめ勧修寺法親王に仕えたが,親王の得度後に法親王の近臣落合朝厚に嫁した。夫の没後の宝暦12(1762)年,桃園天皇の皇后恭礼門院(富子)の命で,院の息子の伏見宮貞行親王の保母となるが,親王もわずか13歳で死没した。親王の死を契機に慈雲から十善戒を受け,安永3(1774)年6月,親王の三回忌の日に相国寺雲頂院の宗樹のもとで剃髪,天明4(1784)年3月,親王の追福のため,恭礼門院の後援で密乗山長福寺を再興し,皓月尼と共に住した。真言の戒律である正法律を宣揚したことでも知られる。<著作>『十善法語縁起』1巻<参考文献>『正法律中四衆伝』下
(岡佳子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報