江戸時代の真言宗の僧。戒律の復興、サンスクリット(梵学(ぼんがく))研究で知られ、「日本の小釈迦(しょうしゃか)」と称された。号は百不知童子(ひゃくふちどうじ)、百福(ひゃくふく)道者、双竜叟(そうりゅうそう)、葛城(かつらぎ)山人。通称、慈雲尊者(じうんそんじゃ)、慈雲さん、葛城尊者などという。幼名は満次郎。父は上月安範(かみつきやすのり)(1665―1730)、母は桑原氏。七男として大坂中之島の高松藩蔵屋敷(くらやしき)で生まれ、13歳で忍綱(にんごう)(1671―1750)に就いて出家得度した。18歳で京都の伊藤東涯(いとうとうがい)に儒学を、24歳のとき信州(長野県)の大梅(だいまい)禅師(1682―1757)に禅を学ぶ。諸国を巡って学問修行に励み、1744年(延享1)、摂津(大阪府)高井田長栄寺で正法律(しょうぼうりつ)を創唱して、釈尊(しゃくそん)に帰れをモットーとした。41歳のとき生駒(いこま)山中に双竜庵(あん)を結び、10年をかけて『梵学津梁(しんりょう)』1000巻の大著を完成。また京都阿弥陀(あみだ)寺で十善戒(じゅうぜんかい)を説き、河内(かわち)(大阪府)高貴寺を正法律の根本道場とした。文化(ぶんか)元年、阿弥陀寺において87歳で示寂。著書は、ほかに『十善法語』『方服図儀』などがある。また、神道の研究で知られ、雲伝(うんでん)神道を唱えた。
[宮坂宥勝 2017年5月19日]
『宮坂宥勝校注『日本古典文学大系83 仮名法語集』(1964・岩波書店)』▽『長谷宝秀編『慈雲尊者全集』17巻・補遺1巻(復刻版・1974・思文閣出版)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸後期の真言宗の僧。諱(いみな)は飲光(おんこう),百不知童子,葛城山人などと号し,世人から慈雲尊者と敬われる。俗姓上月氏。…
※「飲光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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