懐島郷(読み)ふところじまごう

日本歴史地名大系 「懐島郷」の解説

懐島郷
ふところじまごう

相模川がつくった中洲の一帯を称したと思われ、「風土記稿」は浜之郷はまのごう村・西久保にしくぼ村・円蔵えんぞう村・矢畑やばた村にあてている。大庭おおば御厨の西部の中心と考えられる。文永八年(一二七一)五月七日の道智(二階堂行氏)置文案(県史一)に「懐嶋与萩曾禰堺」「懐嶋与柳嶋堺」「ゑのきとの河流をたゝして可用之」とあり、当郷の西境が知られる。天養二年(一一四五)二月三日の官宣旨案(同書)にみえる「当御厨内字殿原香川両郷」のうち殿原は、建暦三年(一二一三)五月九日の将軍源実朝袖判下文(同書)には「懐嶋殿原郷」とみえる。

「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)一〇月三日条によれば、上洛のため鎌倉を出立し「相模国懐嶋」に宿をとった源頼朝に、ここを根拠地とする大庭(懐島)景義が駄餉を提供している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む