懸田城跡(読み)かけだじようあと

日本歴史地名大系 「懸田城跡」の解説

懸田城跡
かけだじようあと

[現在地名]霊山町掛田

小国おぐに川を挟み、掛田かけだの市街地の東向いに位置する古城こじよう(茶臼山とも、二二五・二メートル)に立地。掛田城・茶臼ちやうす館・さくら館ともよばれる。正中二年(一三二五)から杉目すぎのめ(現福島市)高松たかまつ(別名岡本館)居城していた高松定隆が、建武二年(一三三五)四月北畠顕家の命により当城に移り、懸田を称したという(懸田史)。文和四年(一三五五)当時は懸田定兼が居城し、その子定勝はのち杉目郷青葉閣(現福島市信夫山)に移ったと伝える。定勝は応永二〇年(一四一三)伊達持宗とともに挙兵したが、同年一二月二一日、大仏だいぶつ(現福島市)に退き、関東公方足利持氏は畠山修理大夫(国詮)らに攻撃を命じている(同年一二月二九日「足利持氏軍勢催促状」有造館本結城古文書写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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