戎島(読み)えびすじま

日本歴史地名大系 「戎島」の解説

戎島
えびすじま

[現在地名]堺市戎島町一―二丁・熊野くまの西にし三丁・市之いちの西にし三丁

湯屋ゆやはまえびすはま櫛屋くしやはまの西側に位置し、うち(古川)を隔てて西の海中にある。寛文四年(一六六四)大小路おおしようじ浜の北浜に接して洲が形成され、海中より戎神の石像を得たことにより戎島と称し(堺市史)、同八年に堺町に含まれた(元禄八年堺手鑑)。島内部の町割は寛文九年頃から整備され、また同八年にはかぎ町より二年早く芝居小屋が興行を始め、延宝五年(一六七七)に定芝居が茶屋とともに公許され、歓楽地として賑いをみせた。元禄二年(一六八九)堺大絵図では市之町浜の北に接して半島状に描かれており、東西約一町・南北約三町の長方形をなし、東部・北部は石垣が築かれ、東の湾入には港が造られていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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