戸倉城跡(読み)とくらじようあと

日本歴史地名大系 「戸倉城跡」の解説

戸倉城跡
とくらじようあと

[現在地名]福井市寮町、吉田郡松岡町小畑

福井平野と吉野よしの谷とを限る山嶺の稜線上(標高一三〇メートル)に位置したと思われるが、その遺構はほとんど残っていない。

越前国城蹟考」は戸倉城の位置を「小畑村ヨリ八町計南方山上」とし、また、長田ながた城跡を「寮村ヨリ十町計東方山上」と記す。これはほぼ同位置となり、戸倉城と長田城は同一と考えられる。一方、城主も戸倉城は「柴田徳永」、長田城は「寮照円寺徳永」とあって、同一人とみなされる。ただ勝縁寺系図には徳永なる人物は見当らない。しかし、勝縁寺由緒書(同寺蔵)に「徳治二年夏、戸倉次郎上野守宗嗣が越前に封ぜられて平郡山を賜り寮勝縁寺に着陣、その北方に戸倉城を築き、勝縁寺の開基墳墓を修すとともに開基を城内の鎮守とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む