戸切地村(読み)へきりちむら

日本歴史地名大系 「戸切地村」の解説

戸切地村
へきりちむら

[現在地名]上磯郡上磯町字戸切地・字野崎のざき飯生いなり一―三丁目・字清川きよかわ・字中野なかの・字中野通なかのどおり・中野通一―三丁目・中央ちゆうおう一―三丁目・字大工川だいくがわ・大工川一―二丁目・字押上おしあげ・押上一―二丁目・常盤ときわ一―三丁目

近世から明治一二年(一八七九)まで存続した村。函館平野西端の戸切地川流域、南は函館湾に面する地域にある。同川の河口久根別くねべつ(大野川)河口のすぐ西にある。地名の由来は「夷語ベケリベツなり。あきらかなる川と訳す。ベケリとは明らかと申事。ベツは川なり。此川の流れ清き故、地名になすと云ふ」(地名考并里程記)とする説がある。

近世は東在箱館付村々のうち。元禄郷帳に「へけれち村」、享保十二年所附に「辺化礼地」、天保郷帳には「従松前東在」として「戸切地村 右枝村中之郷」とある。シャクシャインの戦に関連して「へきれ地」とみえるのが早く、「やけ内より三里 川 狄有 家廿間斗 おとな本あみ」(狄蜂起集書)と記される。「蝦夷談筆記」によると、「東在郷はちこない、しやつかり、茂辺地富川、へけれ地辺迄、人間日本人の事を云と入交り、蝦夷人居住」と混住している。元禄七年(一六九四)には「東部辺幾利知にて墾田を試みしが、実りて新米を藩主え呈せしことあり」(松前広長「松前志」)とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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