日本歴史地名大系 「戸板村」の解説 戸板村といたむら 兵庫県:神崎郡市川町戸板村[現在地名]市川町小谷(こだに)近平(ちから)村の東、市川右岸に位置し、市川と振古(ふりこ)川に挟まれる。神西(じんさい)郡に属し、東は市川を隔てて神東(じんとう)郡西川辺(にしかわなべ)村。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代を通じて姫路藩領。正保郷帳では田方一三七石余・畑方二五石余、「芝山有・新田有」と注記される。天保郷帳では高二〇五石余。嘉永二年(一八四九)の田畑植付書上帳(戸板区有文書)では早稲六反余・中稲三町五反余・晩稲三町三反余・木綿五反余。同四年の御拝借御返上人別増方書上帳(同文書)では人数一八三、慶応三年(一八六七)の五人組改帳(同文書)では人数二四二。 戸板村といたむら 富山県:東礪波郡井波町戸板村[現在地名]井波町戸板今里(いまざと)村の北、西大谷(にしおおたに)川右岸の扇状地に立地。天正一三年(一五八五)一〇月一四日の前田利勝請取状(遺編類纂)に「戸板」とみえ、河上蔵米のうちとして三六五匁を綿で納めている。慶長八年(一六〇三)の中川宗重等連署裁許状(越中古文書)に村名がみえる。元和五年(一六一九)の家高新帳によると役家数五、かなや組に属した。 戸板村といたむら 福岡県:筑紫郡那珂川町戸板村[現在地名]那珂川町南面里(なめり)南面里村の西方にある同村枝郷。元禄国絵図に戸板村とある。石高書上帳案では郡帳高三二石余。「続風土記附録」によれば戸数六、早良(さわら)郡板屋(いたや)村(現福岡市早良区)に越える戸板峠があり、この道は戸板越といった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by