日本歴史地名大系 「戸雁村」の解説 戸雁村とがりむら 愛媛県:北宇和郡三間町戸雁村[現在地名]三間町戸雁三間盆地の西部に位置し、北は黒井地(くろいじ)村、南は務田(むでん)村、東は宮野下(みやのした)村、西は成家(なりえ)村に接する。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「戸雁村 茅山有、日損所」とあり、干害を受けやすい村であった。吉田藩領。太閤検地の石高は四五三石二斗七升、正保検地の石高は四一一石四斗八升八合である。「清良記」には野村(のむら)(現東宇和郡野村)・赤浜(あかはま)(現東宇和郡宇和町明間(あかんま))の者が「戸雁の市」に立ち寄ったとあり、戦国時代、今城氏の本拠地である金山(かなやま)城の麓に市が立っていたことがうかがえる。延宝九年(一六八一)の「吉田古記」に太閤検地の際の浅野長吉書状が記載されている。それには、<資料は省略されています>とあり、収穫高の三分の二を領主、三分の一は百姓の取り分であることを明記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by