手速比
神社
てはやひめじんじや
[現在地名]押水町東間
東間の南東端、前田川右岸にある下社と、宝達山頂の上社の二社からなる。「延喜式」神名帳にみえる羽咋郡の「手速比
神社」に比定される。祭神は手速比
神であるが、古くは奴奈宜置波比
命とされていた。下社は崇神天皇の時代の創建と伝え、かつては七堂伽藍を有し能登国守護畠山氏の崇敬を受けたが、天正一二年(一五八四)佐々成政により焼払われ、文禄三年(一五九四)に復興、近郷八ヵ村の総社として仰がれてきたという。貞享二年寺社由緒書上には東間明神社と記す。上社は宝達大明神・宝達御前社とよばれ、養老年間(七一七―七二四)泰澄の創祀で、のちに押水郷三二ヵ村の総社として信仰を集めたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 