拾弐町村(読み)じゆうにちようむら

日本歴史地名大系 「拾弐町村」の解説

拾弐町村
じゆうにちようむら

[現在地名]指宿市十二町じゆうにちよう湯の浜ゆのはま一―六丁目・みなと一―四丁目・大牟礼おおむれ一―五丁目

現指宿市南東端に位置し、北東は東方ひがしかた村、北西拾町じつちよう村、南西は山川やまがわ鳴川なりかわ(現山川町)、南と東は海に臨む。西方山麓から丹波たんば川・橋牟礼はしむれ川・山王さんのう川が東流し、河口沿岸に集落が形成されている。北端湊浦、南部に摺之すりの(現在の摺ヶ浜)の二つの浦がある。慶長五年(一六〇〇)一一月二日の島津忠長外三名連署加増目録(旧記雑録)によると、伊地知氏に「十二町村 上高原之門」の二五石余が加増されている。同一九年には島津義弘伊集院いじゆういん苗代川なえしろがわ(現東市来町)に製陶場を建設、その際に島津氏が朝鮮から連行した朴平意らが薩摩国内の製陶原土を探索し、「揖宿郡十二町内山白粘土」などを採取した(府県陶器沿革陶工伝統誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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