掛城跡(読み)くずかけじようあと

日本歴史地名大系 「掛城跡」の解説

掛城跡
くずかけじようあと

[現在地名]日高村下分 奥の谷

戦国期日下くさかの領主三宮氏の居城で、通称奥の谷おくのたににある。標高一六一メートルの山頂部を主郭とする山城で、「土佐州郡志」は「在本村北山際、相伝秦元親時三宮平左衛門者居之、豊後役戦死」とある。

三宮氏は中世当地方の有力国人で、南北朝期佐竹・津野佐伯・曾我ら高岡郡下諸氏とともに北朝方武将として活躍したことは、「蠧簡集拾遺」所収の建武三年(一三三六)正月八日の佐伯経貞軍忠状以下の佐伯氏関係の文書の示すところで、左近将監頼国の名が知られる。室町時代後期から戦国期にかけて蓮池はすいけ(現土佐市)の大平氏、次いで幡多はたなか(現中村市)の一条氏の麾下にあったが、元亀二年(一五七一)長宗我部氏降伏、天正一四年(一五八六)一二月の豊後戸次へつぎ川の戦では中間七人を失っている(土佐遺語)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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