接待村(読み)せつたいむら

日本歴史地名大系 「接待村」の解説

接待村
せつたいむら

[現在地名]田老町 摂待せつたい向新田むかいしんでん水沢南みずさわみなみ水沢みずさわ払川はらいかわ片巻かたまき星山ほしやま下摂待しもせつたい上摂待かみせつたい胡桃畑くるみはたはた上沖かみおき畑川向はたかわむかい岩瀬張いわせばり小堀内こぼりない

乙部おとべ村の北に位置し、東は海に面する。江戸時代にはおもに接待と書くが、現在は摂待とする。永正五年(一五〇八)の糠部郡九箇部他馬焼印図(古今要覧稿)に「せつたい」とみえる。浜街道が通る。摂待は宿間距離が長い難所にあって宿的な機能を果した地などにみられる地名で、「三閉伊路程記」に「接待、家三拾壱軒、村中に下接待道、塩釜道など東の方へ別れ道有、町屋作にはあらねど、家居立つゞき御高札場等有てよき村也」とある。元和四年(一六一八)五月二六日の南部利直扶持渡状(盛岡浜田文書)によれば、当村の左藤七が八戸への廻船の船子として扶持米を受けている。荒磯が続き船溜も少なく、海辺ではわずかに磯漁製塩が行われていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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