援蒋ルート(読み)えんしょうるーと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「援蒋ルート」の意味・わかりやすい解説

援蒋ルート
えんしょうるーと

日中戦争から太平洋戦争にかけて、中国国民政府(主席蒋介石(しょうかいせき))の対日抗戦を援助するため、イギリス、アメリカ、ロシアなど連合国が物資人員を輸送したルート。1937年(昭和12)から38年にかけて、日本軍は中国沿岸諸港を占領し、海外からの援蒋(国府援助)物資の供給を絶とうとした。イギリス、フランスはこれに対抗して、北部ビルマ(現ミャンマー)から四川(しせん)省に至るビルマルートや、仏印から雲南省昆明(こんめい)に至る仏印ルートを開き、ロシアもまたトルキスタン方面に新疆(しんきょう)(西北)ルートを開いた。日本はしばしば援蒋ルートの閉鎖を要求したが、40年9月には北部仏印進駐によって仏印ルートを、太平洋戦争開始後の42年にはビルマ作戦によってビルマルートを絶った。しかし、国民政府の対日戦離脱を恐れた連合国は、中国に対日作戦基地を確立する必要もあって、新たにインドからのヒマラヤ越えルートを開き、航空輸送によって援蒋ルートを維持した。

荒井信一

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「援蒋ルート」の解説

援蒋ルート
えんしょうルート

日中戦争から第2次大戦中にかけて米・英・ソなどが中国の抗日支援のために開拓した物資搬入路。フランス領インドシナから粤漢(えつかん)鉄道に至る仏印ルート,ラングーンから昆明(こんめい)に至るビルマルート,アルマータから西安に至る西北ルートなどがあった。日本は蒋介石の対日抗戦を阻止するため,ドイツ制圧下で弱体化した英仏との外交交渉,空爆海上封鎖によるルートの途絶をはかったが,完全には成功しなかった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「援蒋ルート」の意味・わかりやすい解説

援蒋ルート
えんしょうルート

「ビルマ・ロード」のページをご覧ください。

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