コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

仏印進駐 ふついんしんちゅう

4件 の用語解説(仏印進駐の意味・用語解説を検索)

大辞林 第三版の解説

ふついんしんちゅう【仏印進駐】

太平洋戦争直前に日本が行なったフランス領インドシナ占領。1940年(昭和15)9月、日本軍は軍需資源(石油・ゴム)の獲得と蔣介石軍援助ルートの遮断とを目的に仏印北部に進駐。翌年7月には南部にも進駐し、アメリカ・イギリス・オランダとの対立を決定的にした。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

仏印進駐【ふついんしんちゅう】

1940年9月以後日本軍によるフランス領インドシナ軍事占領。中国に対する援助ルート援蒋ルート)封鎖を目的に,ドイツに降伏したフランスビシー政府に交渉した結果,日本軍はまず北部を占領,1941年7月には南方作戦の基地獲得のために南部を占領した。
→関連項目近衛文麿内閣

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ふついんしんちゅう【仏印進駐】

太平洋戦争前における日本軍の2度にわたるフランス領インドシナ占領。日中戦争解決の目途を失った日本は,1940年6月フランスがドイツに降伏したのに乗じ,援蔣ルートの切断と東南アジア侵略の前進基地獲得をめざし,国境監視,日本軍の仏印領内通過,飛行場使用などをフランスに要求した。富永恭次参謀本部第1部長らの強硬意見にもとづき現地交渉の結果,9月22日平和進駐に関する協定が成立したが,23日現地の陸軍第5師団の一部が鎮南関付近で独断越境してフランス軍と交戦し,25日フランス軍は降伏した(北部仏印進駐)。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

仏印進駐
ふついんしんちゅう

日本が、対独降伏後のフランスのビシー政権を圧迫し、協定によって行った仏領インドシナの軍事占領。日本の南進政策の重要な一歩として太平洋戦争の原因の一つとなった。(1)北部仏印進駐。援蒋(えんしょう)ルート遮断の名目で1940年(昭和15)8月30日に日本軍隊の通過、飛行場使用、駐兵を認める松岡‐アンリ協定が締結された。9月23日から南支那(しな)派遣軍所属の2万5000の兵が進駐したが、その際一部部隊は平和進駐の約束を無視し武力進駐を強行した。(2)南部仏印進駐。南方作戦のための基地獲得のねらいで、1941年7月28日から行われた。フランスは日本の要求をのみ、日仏議定書(同29日調印)の締結に応じたので、無血進駐となった。しかし、これにより日米関係は極度に悪化し、アメリカは在米日本資産の凍結(7月25日)、対日石油輸出の全面禁止(8月1日)に踏み切り、イギリス、オランダもこれに倣った。[荒井信一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

仏印進駐の関連キーワード太平洋戦争ニミッツビアク島アジア太平洋戦争十五年戦争ハルノートミッドウェー旧日本軍の少年採用太平洋戦争とキスカ島水戸空襲

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

仏印進駐の関連情報