昆明(読み)こんめい

精選版 日本国語大辞典 「昆明」の意味・読み・例文・類語

こんめい【昆明】

[一] 中国雲南省の省都。同省中部の滇(てん)池北岸に位置する。秦、漢代昆明夷、唐代南詔国、宋代大理国の拠点となり、元代に中国の版図に入って昆明県がおかれた。ミャンマーベトナムラオスへの交通路にあたる。
[二] 昆明池のこと。

クンミン【昆明】

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デジタル大辞泉 「昆明」の意味・読み・例文・類語

こんめい【昆明】

中国雲南省の省都。標高1900メートルの雲貴高原にあり、気候は温暖で、景勝地も多い。ベトナムミャンマーなどへの交通の要地。クンミン。人口、行政区304万(2000)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「昆明」の意味・わかりやすい解説

昆明
こんめい / クンミン

中国南部、雲南(うんなん)省北東部の地級市で、同省の省都。略称は昆。省中央部滇池(てんち)盆地にあり、市街地は滇池地方に広がる。東川(とうせん)など7市轄区、3県、3自治県を管轄し、安寧(あんねい)市の管轄代行を行う(2017年時点)。人口555万5700、市轄区人口317万7100(2015)。市街地は滇池北岸の標高1890メートルの高原に位置し、北と西に山を控えるため気候は温暖である。年平均気温は約15℃で、春城(常春の町)とよばれる。年降水量は約920ミリメートル。藤沢市と姉妹都市提携を結んでいる。

[青木千枝子・河野通博・編集部 2018年1月19日]

歴史

紀元前から滇池を中心に少数民族が居住し、漢の武帝の南征以後益州(えきしゅう)に属し、三国時代には晋寧(しんねい)郡と改称された。唐代に南詔(なんしょう)国が興るとこの地に東都の拓東城(のち鄯闡(ぜんせん)城と改名)を建て、宋(そう)代の大理国は鄯闡府とよんだ。元のフビライが大理国を滅ぼしたのち昆明一千戸所を置き、1276年雲南行中書省が設立されると、昆明県が置かれ、中慶路に所属して省の行政の中心地となった。明(みん)代に中慶路は雲南府と改められ、雲南府昆明県は雲南省の省都となった。清(しん)代末に昆河線(昆明―河口(かこう))が建設され、日中戦争中に畹町(えんちょう)鎮を経てビルマ(現、ミャンマー)と結ぶビルマ・ルート(援蒋(えんしょう)ルート)が通じ、中国南西部における外国との交通の要地となった。

[青木千枝子・河野通博 2018年1月19日]

産業・交通

市街は南北に盤竜江(ばんりゅうこう)が貫流し、成昆線、貴昆線(貴陽(きよう)―昆明)、昆河線、南昆線(南寧(なんねい)―昆明)、昆玉線(昆明―玉渓(ぎょくけい))、広大線(広通(こうつう)―大理(だいり))、高速鉄道の長昆旅客専用線(長沙(ちょうさ)―昆明)と、滇緬(てんめん)(昆明―瑞麗(ずいれい))、昆洛(昆明―打洛(だらく))、京昆(北京(ペキン)―昆明)、広昆(広州(こうしゅう)―昆明)などの自動車道が通る。市街北東部には2012年開港の昆明長水国際空港がある。

 周辺の工業地帯には、機械、冶金、タバコ、紡績などの工場がある。市域の県では、リン、ボーキサイト、鉄、コバルト、鉛、銀などの鉱山や一平浪(いちへいろう)の炭田もある。名産として、麺料理の過橋米線、キノコ、碁石が有名。

[青木千枝子・河野通博・編集部 2018年1月19日]

文化・観光

市街には、南詔国時代の仏教建築である東寺塔と西寺塔、円通寺、清末の雲南陸軍講武堂などの旧跡や、雲南の民族文化を展示する雲南省博物館、昆明世界園芸博覧園、翠湖(すいこ)公園などがある。郊外には、石林、滇池、西山竜門、石寨山(せきさいざん)古墓などがある。なかでも石林のカルスト地形は、2007年ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「中国南方カルスト」の構成資産として、世界遺産の自然遺産に登録された(世界自然遺産)。

 イ族の火把節(かはせつ)、タイ族の水掛け祭り、ペー族の繞三霊(ぎょうさんれい)など、少数民族の伝統行事が行われることでも知られる。

[周 俊 2018年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「昆明」の意味・わかりやすい解説

昆明 (こんめい)
Kūn míng

中国,雲南省中部の市,雲貴高原の中央部,滇池(てんち)の北岸にある省人民政府所在地。人口304万(2000)。行政上富民県など6県と2自治県を管轄する。鉄鋼業など工業も発達し中国西南部の経済中心である。夏冬の温度差が小さく,またツバキ,ツツジなど豊富で,〈春の都〉〈花の都〉とも呼ばれる。古くは西南夷の地で,昆明とはその一部族の名称であった。漢の武帝は益州郡をおいたが,この地域は穀昌県に属した。三国の蜀のとき,諸葛亮(孔明)の南征により建寧郡が成立,6世紀には昆州さらに昆川となり益寧県に変わった。765年には南詔がたち,漢の勢力は後退,拓東城のちの鄯闡(ぜんせん)城が設けられた。13世紀,元によってはじめて昆明県が置かれ,雲南行中書省の中慶路に帰属,以後雲南の政治中枢として発展する。この間,筇竹(きようちく)寺,円通寺などが建立され仏教が栄えた多数の商人と工匠がいる主都ヤチYachiについて,マルコ・ポーロは記述を残しているが,これは昆明のことをさすとされている。清初の三藩の乱のとき,呉三桂は昆明を根拠地とした。1908年(光緒34)清仏条約によって貿易都市として外国に門戸を開放,1928年市街地域が市に昇格,53年昆明県を合併し拡大した。なお,第2次世界大戦中は,いわゆるビルマ・ルートの主要地として軍需物資が集積され,市の発展を促した。
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百科事典マイペディア 「昆明」の意味・わかりやすい解説

昆明【こんめい】

中国,雲南省の省都。省のやや東部寄り,雲貴高原の中央部に位置する。夏冬の温度差が小さく,ツツジ,ツバキなどが豊富で,〈春の都〉〈花の都〉ともよばれる。古くは西南夷の地とよばれ,チベット族,タイ族,ミヤオ族などの居住するところと考えられていた。成昆(成都〜昆明),貴昆(貴州〜昆明),昆河(昆明〜河口)の3鉄路およびミャンマー方面への道路の起点となっている。国際空港もある。13世紀の元代に,はじめて昆明県がおかれ,以後,雲南の政治的中心となり,仏教寺院も多く建てられた。1904年,清仏条約で貿易都市として門戸を開放,第二次世界大戦中は,米英軍が国民党軍に軍需物資を送るいわゆるビルマ・ルートの主要中継地として大量の物資が集積され,発展をうながした。解放後,絹織物などの伝統産業のほか,鉄鋼業,セメント,化学,機械,製銅,食品などの近代工業が行われ,茶,ハム,薬材,銅などを移出する。また省の文化・教育の中心でもあり,雲南大学,昆明医学院,昆明工学院などがある。市の内外に名勝地も多い。2014年3月昆明駅で無差別暴力事件が発生,駅前広場や切符売り場などに居合わせた人々を次々と襲い,29人が死亡,143人が重軽傷を負い,容疑者のうち4人を現場で射殺,1人を拘束したと中国政府は発表した。政府は〈新疆ウィグル自治区の分裂主義者の組織的暴力テロ〉としているが,詳細は不明。雲南省には多様な少数民族が居住し,昆明は歴史的にも少数民族が行き交う活気ある都市として,雲南省を代表する場所でもあり,事件は内外に衝撃を与えた。昆明の人口は272万人(2014)。
→関連項目雲南[省]

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世界大百科事典(旧版)内の昆明の言及

【雲南[省]】より

…2地区級市,7地区,8自治州からなり,さらにこれらが127県級行政地域(4市轄区,15市,79県,29自治県)に区分されている。省都は昆明。北はチベット自治区,四川省,東は貴州省,広西チワン族自治区,南はベトナム,ラオス,西はミャンマーと接し,少数民族が30%をしめる。…

※「昆明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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