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援蒋ルート

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

援蒋ルート

アメリカ、イギリス、ソ連などが蒋介石の率いる国民政府に軍需品や石油などの支援物資を送り込んだルートアメリカは当初、中立の立場をとったが、蒋介石の要請を受けて借款を実施。日本軍が仏領インドシナに進駐するなど戦線を広げるに連れて中国への軍事支援を拡大した。日本の対米英開戦の後、欧米列強の植民地は執に日本軍に占領された。フランスオランダはすでに欧州戦線でドイツに降伏しており、アメリカとイギリスにとっては、中国の抗戦力の維持が極めて重要となった。このため、物資の提供と、作戦協力の両面から中国を支えた。援蒋ルートは中国の生命線を握っていたので、アメリカとイギリスはこの輸送路を守るために中国軍と共同して戦った。その最大の攻防が雲南省、ビルマで展開した。42年には、蒋介石はアメリカのルーズベルト大統領の提案で連合軍の中国戦区司令官に選ばれ、戦区参謀長としてスティルウェル将軍がアメリカから派遣された。日本と中国の戦争はこのようにして、日本対中国・アメリカ・イギリスという構図に広がっていった。ソ連もまた、日ソ中立条約が締結されるまで、独自に新疆方面などから中国に支援物資を送った。欧州でのドイツ戦に専念するために、日本軍を中国にくぎづけにしたかったためといわれている。

(2007-11-27 朝日新聞 朝刊 東特集C)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

援蒋ルート
えんしょうるーと

日中戦争から太平洋戦争にかけて、中国国民政府(主席蒋介石(しょうかいせき))の対日抗戦を援助するため、イギリス、アメリカ、ロシアなど連合国が物資や人員を輸送したルート。1937年(昭和12)から38年にかけて、日本軍は中国沿岸諸港を占領し、海外からの援蒋(国府援助)物資の供給を絶とうとした。イギリス、フランスはこれに対抗して、北部ビルマ(現ミャンマー)から四川(しせん)省に至るビルマルートや、仏印から雲南省昆明(こんめい)に至る仏印ルートを開き、ロシアもまたトルキスタン方面に新疆(しんきょう)(西北)ルートを開いた。日本はしばしば援蒋ルートの閉鎖を要求したが、40年9月には北部仏印進駐によって仏印ルートを、太平洋戦争開始後の42年にはビルマ作戦によってビルマルートを絶った。しかし、国民政府の対日戦離脱を恐れた連合国は、中国に対日作戦基地を確立する必要もあって、新たにインドからのヒマラヤ越えルートを開き、航空輸送によって援蒋ルートを維持した。[荒井信一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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