改訂新版 世界大百科事典 「播州の役」の意味・わかりやすい解説
播州の役 (はしゅうのえき)
中国,明代に起きた少数異民族の反乱で,万暦三大征(ほかにボハイの乱,朝鮮の役)の一つに数えられる。播州は今の貴州省遵義県を中心とする地方で,古の夜郎の地だという。明代には四川所属の土司の一つで,播州宣慰使とよばれた。その長は唐代以来続く楊氏で,元・明両朝から宣慰使に任ぜられ,一種の自治区をなしていた。1589年(万暦17)内紛から時の宣慰使楊応竜反すという内部告発があり,92年いったん捕らえられたが釈放された。95年討伐を受けて再び下り,贖罪を許された。97年以降,楊応竜は四川,貴州,湖広の各地を掠(かす)めたので,明朝は99年李化竜を起用して征討に当たらせた。翌年6月,包囲された楊応竜は自殺し,子供らは捕らえられて乱は平定した。その後明朝はこの地に遵義,平越の2府を置いて内地化し,四川と貴州に分属させた。明代における改土帰流の一例である。またこの役に費された軍事費は200万両(テール)を超え,時を同じくした朝鮮の役などとともに,明朝の財政窮乏化の大きな原因となった。
執筆者:岩見 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報