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土司 どしtu-si; t`u-ssǔ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

土司
どし
tu-si; t`u-ssǔ

中国,元以後中国の南西諸民族に与えられた官職。いまの甘粛,青海,四川西部,チベット地方には古くからチベット人が住み,また湖南,四川,雲南,貴州,広西などにはミヤオ (苗) 族などの山岳民族が居住していたが,これら諸民族に対して中国の政治力はほとんど及ばなかった。元になってこれらの地方に支配力が伸びると,その地方を統治するために首長に政府から官職を授け,その慣習に従って自治を行うことを許した。この官職を土司 (土官) と呼び,その地位は世襲を許された。土司制度は明代に完成し,清朝もこれを受継いだが,雍正年間 (1723~35) には土司を流官とする改土帰流政策がとられた。

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世界大百科事典 第2版の解説

どし【土司 Tǔ sī】

中国で元代以後民国時代まで,西南地方に置かれた一種の地方官。中央政府から諸少数民族の長に,ある種の官職を授け,従来の慣習に従い土民の統治を許し,これを土司または土官といった。土司は政府の承認を条件に世襲も許されるかわりに,貢賦や治安維持などの義務を負った。土司制度は明代に完成し,清代にうけつがれたが,一方明の中期以後は土司を廃して流官(中央政府任命の地方官)にかえる改土帰流策もとられた。【藤原 利一郎】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

土司
どし

中国で元代(1271~1368)から西・西南部の少数民族地区に置かれた一種の地方官。すなわち、元朝は軍民統治の流官(中央政府の任命する地方長官)である宣慰使司(せんいしし)、宣撫司(せんぶし)、安撫司(あんぶし)、招討司(しょうとうし)などをこれら地区に設ける一方、土着民族の集落の長官司として土酋(どしゅう)(土着民族の長)を用い、従来の慣行によって自治にゆだねた。これら長官司を土司、土官とよんだ。明(みん)も、この元制を踏襲し、さらに元の流官をも土司に加え、その整備拡大を図り、官爵を授与して懐柔に努めた。平時における土司の責任は3年あるいは5年に一度朝貢するだけで、流官に比べればはるかに軽かった。土司の任務の大きなものは、反乱討滅などに徴発されることで、嘉靖(かせい)年間(1522~66)の倭寇(わこう)、万暦(ばんれき)年間(1573~1619)の三大征や、万暦~崇禎(すうてい)年間(1628~44)の遼東(りょうとう)兵事などに多大な功績を残したものがいる。清(しん)代も、元・明代を継承したが、清では文職に属するものを土官、武職に属するものを土司とした。雍正(ようせい)年間(1723~35)の改土帰流(かいどきりゅう)政策でやや縮小されたが、その重要性は減じなかった。[川勝 守]

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世界大百科事典内の土司の言及

【改土帰流】より

…中国の西南地方に住む諸少数民族に対する中国化政策。改土帰流とは土司・土官を改めて流官(中央政府任命の地方官)にする意味である。中国の西南地方には昔はミヤオ(苗)・ヤオ(瑶)など各種の未開少数民族が広く居住していて,唐・宋のころまでは中国の支配がほとんど及ばなかった。…

※「土司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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