政治研究会(読み)せいじけんきゅうかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「政治研究会」の意味・わかりやすい解説

政治研究会
せいじけんきゅうかい

無産政党組織のための準備団体。1924年(大正13)6月28日、嶋中雄三(しまなかゆうぞう)、青野季吉(すえきち)、鈴木茂三郎(もさぶろう)、黒田寿男(ひさお)、大山郁夫(いくお)、高橋亀吉(かめきち)らによって創立された。『政治研究』を発行し、政党樹立のための政策綱領、規約を研究し、民衆の政治教育を行うなどの活動を続け、翌25年無産政党組織準備委員会に加入した。最盛期には80余支部、6000名の会員を有したといわれるが、左右対立が激化し、25年10月の第3回大会で左派が指導権を握ると嶋中、高橋らは脱退した。26年労働農民党が結成され、同党から排除されると解散の声が高まり、同年5月大衆教育同盟に改組したが、まもなく自然消滅した。

[吉見義明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の政治研究会の言及

【無産政党】より


[歴史]
 1922年に発表された共産党の指導者山川均の論文《無産階級運動の方向転換》は,日本の革命運動の大衆化とともに,民衆運動の政治闘争化をめざしたものである。23年山本権兵衛内閣の普選実施声明によって無産政党の組織化は現実の政治課題となり,日本労働総同盟(総同盟),日本農民組合(日農)はその具体的検討に着手,また24年嶋中雄三,鈴木茂三郎,大山郁夫,高橋亀吉など知識層を主体に結成された政治研究会は政党の綱領・規約を研究,機関誌《政治研究》を発行した。この間,山川が提唱した単一協同戦線党論は無産政党組織化に大きな影響を与えたが,25年の総同盟分裂,日本労働組合評議会(評議会)結成にあらわれた労働運動の左右対立は,政党結成の主導権争いを激化させた。…

※「政治研究会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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