イタリア中世史の用語で〈皇帝派〉を意味する。イタリア語ではギベリノGhibellino。ゲルフ(〈教皇派〉)と対比して用いられる。この語は,12,13世紀に皇帝として積極的なイタリア政策を展開したシュタウフェン家の居城ウィーベリング(現,ワイプリンゲン)の名に由来するといわれる。広く使われるようになったのは,13世紀前半にフリードリヒ2世がシチリアに強固な支配を確立した時代である。都市や諸侯はギベリンとゲルフに分かれて争ったし,都市内では両派が政権を奪いあった。トスカナでは,伝統的にピサ,シエナ,ピストイアなどの都市がギベリンであり,フィレンツェを中心とするゲルフに対抗した。この語は次第に本来の意味を失い,個別的な利害を正当化するための大義名分となった。しかし,13世紀後半にシュタウフェン家が断絶し,大空位時代をむかえるにいたって,その意義も失われ,しだいに衰退していった。
→ゲルフ
執筆者:清水 廣一郎
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叙任権闘争後の皇帝と教皇との対立で,皇帝を支持したイタリアの党派。名称は,皇帝を輩出したシュタウフェン家の拠点,ヴィーベリンゲン(現ヴァイプリンク,イタリア語でギベッリーノ)の居城に由来。コムーネは,皇帝大権を侵害し,農村領主を圧迫したので,農村にとどまった領主,農村に拠点を保持しつつ都市に移住した領主は,皇帝と結びつくことが多かった。とはいえ,複雑な政治力学により,さまざまな要素がギベリンとなり,皇帝から乖離(かいり)した党派になった。
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…シュタウフェン家の皇帝に対抗したドイツ,ザクセンの大貴族ウェルフェン家の名に由来するが,反シュタウフェン家を示す名称として借用されたもの。13世紀前半に広く普及し,皇帝フリードリヒ2世側のギベリン(〈皇帝派〉)に対抗する勢いを示した。1250年のフリードリヒの死後,ゲルフの間では教皇を中心に,フランスからシャルル・ダンジューを招いてシチリア王とする計画が進められ,66年に実現した。…
※「ギベリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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