日本歴史地名大系 「数寄屋丁」の解説 数寄屋丁すきやちよう 宮城県:仙台市仙台城下数寄屋丁[現在地名]仙台市川内澱橋通(かわうちよどみばしどおり)澱橋通から若葉(わかば)ヶ崎を経て元支倉(もとはせくら)丁に至る通りの西側に発達した町をいう。現在は仙台第二高等学校の敷地内。名の由来は、かつて澱橋通北角に藩の茶道頭を勤めた清水氏の屋敷があり、そこに渋紙(しぶがみ)庵または鶩(あひる)庵とよばれる数寄屋があったことによるという。清水氏は清水道閑が藩祖政宗に仕えて以来代々仙台藩の茶道に携わり、寛文年間(一六六一―七三)には花壇(かだん)に居を構えていた(寛文九―一一年城下絵図)。元禄三年(一六九〇)二代清水動閑に川内の中村久兵衛屋敷が与えられたが、翌日には「不届の儀言上につき」その屋敷を取上げられている(肯山公治家記録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by