朝日日本歴史人物事典 「斎藤宜長」の解説
斎藤宜長
生年:天明4(1784)
江戸後期の和算家。通称は四方吉,号は旭山。上野国群馬郡板井村(群馬県玉村町)生まれ。初め安中の小野栄重 に算学を学んだが,のちに江戸の和田寧にも入門して和算の最高理論である円理豁術 を修めた。天保5(1834)年,子宜義の名で『算法円理鑑』を著す。このなかで宜長は和田の円理豁術を応用する問題を原題,截題,画題,穿題,受題,廻題,鉤題,転題の8種類として解くことで,従前の算書と一線を画した。以後上州の奇才といわれ,斎藤父子の研究動向は全国の和算家に注視された。<参考文献>道脇義正編『幕末の偉大なる数学者・その生涯と業績』
(小林龍彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報