板井村(読み)いたいむら

日本歴史地名大系 「板井村」の解説

板井村
いたいむら

[現在地名]七城町亀尾かめお

林原はやしばる村の東にある大村三万田みまんだ(現泗水町)から流下する小川によって刻まれた小さな谷の出口にあたり、集落の北側は菊池川と台地の間に開けた細長い水田地帯。観応二年(一三五一)九月二九日伊東氏祐は詫摩原たくまばら合戦の後、「板井原・水島」で菊池勢と戦い(同三年一二月日「伊東氏祐軍忠状」伊東家古文状)、永和三年(一三七七)九月、北朝方は「板井」の菊池勢を攻め(同四年二月日「深堀時勝代時澄軍忠状」深堀文書)、康暦元年(一三七九)八月一八日、板井原いたいばるに布陣した北朝方の今川仲秋が翌一九日菊池方を攻めるなど(永徳元年七月日「深堀時久軍忠状」同文書)、南北朝内乱の末期、菊池攻めをする今川方の陣地両軍の合戦地となった所である。


板井村
いたいむら

[現在地名]玉村町板井

利根川右岸に沿い、群馬郡に属した。西は上滝かみたき村・中島なかじま(現高崎市)、南は上新田かみしんでん村、東は斎田さいだ村に接し、北の利根川対岸は新堀にいぼり(現前橋市)。村内を南北に通る八幡山やはたやま(現前橋市―埼玉県児玉郡児玉町)の利根川徒渉点には、明治七年(一八七四)長さ六間・幅五尺の舟九艘を連接した舟橋が架けられた(郡村誌)。集落は利根川沿いにあり、水田は南部の滝川たきがわ用水榎町えのきまち(現高崎市)東分水沿いに開ける。


板井村
いたいむら

[現在地名]江南町板井

江南台地中央部南縁に位置し、西は比企郡古里ふるさと(現嵐山町)、北はしば村。南部を和田わだ川が東流する。当地にはかつて本山派修験の京都聖護しようご院末長命ちようめい寺があり、天文二三年(一五五四)二月二三日の聖護院門跡御教書写(篠場文書)に「武州篠場長命寺」とみえる。「風土記稿」は当村の小名篠場しのばについて、「古ハ此辺原野ニテ篠場ノ原ト唱ヘシ」と記すことから、篠場の名は古くはこの付近の広域通称であったと考えられる。元和三年(一六一七)五月、牛奥太郎右衛門(昌成)は徳川氏から男衾おぶすま郡「坂井」などで五二石余を宛行われているが(記録御用所本古文書)、これは板井の誤記であろう。


板井村
いたいむら

[現在地名]黒埼町板井

木場きば村の南、南は居宿いしゆく(現味方村)。集落はなかくち川左岸の自然堤防上にある。正保国絵図に「板井村」高二一七石余がみえ幕府領。慶安二年(一六四九)以後明治に至るまで村上藩領。当村には木場村との組合郷蔵が置かれ、新潟湊の倉への川下げは毎年八十八夜頃であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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