斎藤巍洋(読み)サイトウ タカヒロ

20世紀日本人名事典 「斎藤巍洋」の解説

斎藤 巍洋
サイトウ タカヒロ

大正・昭和期の水泳選手



生年
明治35(1902)年

没年
昭和19(1944)年9月5日

出身地
大阪府岸和田市

学歴〔年〕
立教大学〔昭和2年〕卒

経歴
大正12年第6回極東オリンピック大会の100ヤード背泳に1分12秒で優勝。13年パリの第8回オリンピックに高石勝男出場、100メートル背泳準決勝に1分19秒8で6位、800メートル継泳決勝(4位)にも活躍。卒業後毎日新聞社運動部記者となり、同年高石と豪州遠征、百ヤード背泳でシドニー、オーストラリア両選手権を制した。9年ブラジル海軍体育課に招かれ、水泳を指導、その後日本の水泳技術向上に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤巍洋」の解説

斎藤巍洋 さいとう-たかひろ

1902-1944 大正-昭和時代前期の水泳選手。
明治35年生まれ。立大在学中の大正12年第6回極東選手権競技大会100ヤード背泳に優勝。翌年のパリ五輪に参加。卒業後「毎日新聞」運動部記者,のち水泳技術の指導にあたった。昭和19年9月5日マニラで戦病死。43歳。大阪出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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