シドニー(読み)しどにー(英語表記)Sydney

翻訳|Sydney

デジタル大辞泉 「シドニー」の意味・読み・例文・類語

シドニー(Sydney)

オーストラリア南東部の商工業・港湾都市ニューサウスウェールズ州の州都で、同国最大・最古の都市。石炭・肉類・羊毛などを輸出。人口、行政区440万(2008)。
カナダ、ノバスコシア州北東端、ケープブレトン島の都市。同島東海岸に位置する中心都市で、かつては鉄鋼業をはじめ、工業が盛んだった。近年は観光業が主で、大型クルーズ船が就航する。

シドニー(Philip Sidney)

[1554~1586]英国の詩人・政治家・軍人。文武にすぐれ、ルネサンスの理想的人物像の典型とされた。小説「アルカディア」、ソネット集「アストロフェルとステラ」、「詩の擁護」など。

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精選版 日本国語大辞典 「シドニー」の意味・読み・例文・類語

シドニー

  1. ( Sydney ) ( 一八世紀のイギリス内相トマス=タウンゼンド=シドニー卿にちなむ ) オーストラリアの南東岸にある都市。オーストラリア最大の商工業都市。羊毛、小麦、肉類の大輸出港でもある。一七八八年、イギリスの流刑囚が最初に送られた地。ニューサウスウェールズ州の州都。

シドニー

  1. ( Sir Philip Sidney サー=フィリップ━ ) イギリスの詩人、政治家、軍人。イギリスのルネサンス期を代表する。詩論「詩の弁護」は英文学史上の古典。(一五五四‐八六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シドニー」の意味・わかりやすい解説

シドニー(オーストラリア)
しどにー
Sydney

オーストラリア南東部、ニュー・サウス・ウェールズ州の州都で、同国最古、最大の都市。大都市としてのシドニーの範囲は一定していないが、統計局の定義による面積1万2145平方キロメートル市街地人口は399万7321(2001)である。この市街地は、ポート・ジャクソン湾の南岸に位置する都心部(狭義のシドニー市)を中心に、北はホークスベリー川河口、南はボタニー湾の南岸、西はブルー山地の東麓(とうろく)にかけて広がり、38の地方自治体の全域あるいは一部にまたがる。さらに社会・経済統計用の統計地区として、44の地方自治体を包含する広義のシドニー都市圏(人口393万4700、1997)をさすことも多い。都市行政も複雑で、基本的な行政サービスを各地方自治体が行うほかに、都市計画、都市交通、上下水道など都市運営事業の多くは、それぞれの目的ごとの事業主体あるいは州政府機関によって広域的に行われる。

 気候は西岸海洋性気候(Cfb)で、比較的温暖である。平均気温は最暖月(2月)が22.9℃で、ほぼ東京の6月に相当し、最寒月(7月)が12.2℃で、東京の11月に相当する。年降水量は1132ミリメートルである。

[谷内 達]

産業・交通

シドニーは、ニュー・サウス・ウェールズ州の中心都市であるとともに、メルボルンと並んで、オーストラリアの産業、交通、文化の中心都市であり、また同国の代表的な工業都市、港湾都市でもある。商工業従事者が集中しており、とくに金融・保険・不動産業従事者数は州の8割、全国の3分の1を占めている。工業生産額は全国の4分の1以上に達し、同国最大の工業都市といえる。ほとんどの工業業種がそろうが、とくに機械、化学、金属、紙・印刷などに特色がある。港湾は、都心部に接するポート・ジャクソン湾(狭義のシドニー港)と南部のボタニー湾との2か所にあり、その取扱い高は両港をあわせて州の海外輸出額の3分の2に達し、石炭、肉類、羊毛などを輸出する。また州の海外輸入のほとんどを取り扱い、輸入額は同国最大で、全国の約4割を占める。ボタニー湾北岸にあるシドニー空港(キングスフォード・スミス国際空港)は、国内航空路線網の中心であるとともに、同国最大の国際空港で、年間利用客数は1922万7387人(1997)にのぼる。

[谷内 達]

都市問題

シドニーも世界の他の大都市と同様に都市問題を抱えている。都市問題の背景となるシドニーの特色の第一は、地価上昇と一戸建て持ち家指向の強さを反映して、住宅地が広大な郊外に拡大していることであり、下水道をはじめとする生活環境整備や遠距離通勤の問題を生じている。都心部への通勤では公共輸送機関(鉄道、バス)への依存度が高く、住宅地は鉄道に沿って延びている。第二の特色は、都心部および都心部に近く歴史の古い地区では、道路の狭さや建物・諸施設の老朽化などによる都市環境の悪化がみられることで、都市再開発が課題となっており、古い建物が取り壊され高層ビルや中高層マンションに生まれ変わりつつある。第三の特色は、東西に細長く延びるポート・ジャクソン湾およびその西から同湾に注ぐパラマッタ川によって市街が南北に分断されていることである。北部と南部とは橋と旅客フェリーによって結ばれているが、そのうち都心部に直結する鉄道・道路併用橋シドニー・ハーバーブリッジ(1932開通)はもっとも重要で、その8車線の道路は都心部に出入りする車で朝夕混雑する。

[谷内 達]

歴史・文化施設

シドニーの歴史はオーストラリア最初の入植地(流刑植民地)として1788年に始まり、入植を立案した内務大臣シドニー卿(きょう)にちなんで命名された。1810年代にマコーリー総督によって現在の都心部にあたる市街地が本格的に建設され、流刑制度廃止(1840)ののち、1842年に自治体(市)となった。19世紀後半にはオーストラリア最大の都市の地位をメルボルンに譲りながらも人口が急増し、20世紀初頭以来同国最大の都市として現在に至っている。

 都心部および周辺には多くの歴史的建造物が残っており、セント・ジェームズ教会、セント・メリー聖堂、ハイドパーク・バラックス(旧流刑者収容所、現裁判所)、旧造幣局、州議事堂、市庁舎、中央郵便局、総督官邸、古い建物と街路が残るザ・ロックス地区などが知られている。文化施設としては、特異なデザインで知られ大小四つのホールをもつシドニー・オペラハウス(1973完成)をはじめ、オーストラリア博物館、タロンガ動物園、図書館、美術館がそろっている。またシドニー大学(1850創立、同国最古)、ニュー・サウス・ウェールズ大学(1948創立)、マコーリー大学(1966創立)ほか多くの高等教育機関がある。市街地の北にクーリンガイ・チェイス国立公園、西にブルー・マウンテンズ国立公園、南にロイヤル国立公園があり、東のタスマン海に面したボンダイ浜、マンリー浜などは海水浴、ヨット、サーフィンなどで知られている。2000年にはオリンピック大会が開催された。

[谷内 達]


シドニー(Sir Philip Sidney)
しどにー
Sir Philip Sidney
(1554―1586)

イギリスの詩人。ルネサンスの理想的宮廷人の典型。エリザベス女王の寵臣(ちょうしん)レスター伯Robert Dudley, 1st Earl of Leicester(1532/1533―1588)の甥(おい)として生まれる。オックスフォード大学に学び、ヨーロッパに遊学、ルネサンス文化に触れる。帰国後、新教徒の理想に忠実な政治家として活躍、宮廷の寵児となる。新教徒への援軍を率いてオランダに出征し戦死。このとき、瀕死(ひんし)の重傷を負いながら、水筒の水を傷ついた兵卒に譲るという逸話を残している。文学者としては、牧歌風の物語『アーケイディア』(1590)、初代エセックス伯の娘ペネロペ・デベルーPenelope Devereux(1562/1563―1607)への恋情を素材としたソネット集『アストロフェルとステラ』(1591)、道徳的見地から文学を批判するゴッソンStephen Gosson(1554―1624)の書物が機縁となって執筆され、英文学史上最初の重要な詩論と認められる『詩の弁護』(1595)などの著作を残す。

[藤井治彦]

『大塚定徳他訳『アストロフェルとステラ』(1979・篠崎書林)』


シドニー(Algernon Sidney)
しどにー
Algernon Sidney
(1622―1683)

イギリスの政治家。2代目レスター伯の次男として、ケント州ペンズハーストに生まれる。ピューリタン革命期にはクロムウェルの独立派に属し、のち共和派。王政復古後、「国王殺し」(チャールズ1世処刑)の嫌疑を受け、ヨーロッパ各地で亡命生活を送る。帰国後、1683年のライ・ハウス陰謀事件で逮捕され、同年12月7日処刑された。ロバート・フィルマーの『パトリアーカ』を批判した彼の主著『政府論』Discourses concerning Government(1698)は、近代民主主義の思想的源流として今日的意義をもつ。

[今中比呂志]

『今中比呂志著『イギリス革命政治思想史研究』(1977・御茶の水書房)』


シドニー(カナダ)
しどにー
Sydney

カナダ、ノバ・スコシア州東部、ケープ・ブレトン島北東部の大西洋岸の入り江に位置する商工業都市。人口2万6063(1991)。同州東部の商工業の中心で、近くに炭田があり、鉄鋼業や化学工業のほか、無線電子工学、自動車組立て工業も盛んである。1784年イギリス人が植民した。シドニー港は天然の良港で、モントリオールハリファックスニューファンドランドに定期連絡船が出ている。近郊のグレイス・ベイに重水工場がある。

[山下脩二]

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改訂新版 世界大百科事典 「シドニー」の意味・わかりやすい解説

シドニー
Sydney

オーストラリア南東部,ニュー・サウス・ウェールズ州の州都で,同国最古・最大の都市。人口426万(2005)。平均気温は最暖月(1月)21.9℃,最寒月(7月)12.3℃,年降水量は1205mm。市街地はポート・ジャクソン湾の南岸に位置する都心部を中心に38の地方自治体にまたがって広がり,市街地面積は東京特別区部の約2.4倍に達する。シドニーの歴史は1788年同国最初の入植地として始まり,当時のイギリス内務大臣にちなんで命名された。1810年代にマックオーリー総督により市街地が本格的に建設され,当時の建物の一部が今も都心部に残っている。42年に自治体(市)となり,20世紀初め以来同国最大の都市として今日にいたっている。

 メルボルンとならんでこの国の産業・交通・文化の中心都市である。工業生産額が全国の4分の1以上を占める同国最大の工業都市で,機械,化学,金属,紙,印刷をはじめ多くの業種が集まっている。港湾は都心部に接する地区(シドニー港)と南部のボタニー湾にあり,合わせて州の海外輸出額の3分の2,同輸入額のほとんどを取り扱い,石炭,肉類,羊毛などを輸出する。ボタニー湾北岸のシドニー(キングズフォード・スミス)空港は同国最大の国際空港である。文化面では大小四つのホールをもつシドニー・オペラハウス(1973完成)をはじめ,オーストラリア博物館,タロンガ動物園,図書館,美術館がある。またシドニー大学(1850創立,同国最古),ニュー・サウス・ウェールズ大学(1948創立),マックオーリー大学(1966創立)がある。三つの国立公園に囲まれ,東岸のボンダイ・ビーチ,マンリー・ビーチなどは海水浴,ヨット,サーフィンなどで知られている。ポート・ジャクソン湾でへだてられた北部と南部とは橋と旅客フェリーで結ばれるが,とくに都心部に直結するシドニー・ハーバー・ブリッジ(1932開通)は朝夕混雑する。
執筆者:


シドニー
Philip Sidney
生没年:1554-86

イギリスの詩人,作家。名門貴族の家柄に生まれ,深い古典の素養を積み,かたわら,ヨーロッパ各地の宮廷で新しい文芸や言語の知識にみがきをかけた。帰国後はエリザベス女王宮廷の華とうたわれる。政治面ではプロテスタント政策の推進者となり,文芸面ではルネサンス人文主義のイギリスにおける開花をうながした。詩人エドマンド・スペンサーや,哲学者ジョルダーノ・ブルーノと親交を結んだのもこのころである。ほかの文人たちにとっても強力な理解者であり保護者であった。彼自身も詩才にめぐまれ,ステラ(〈星〉の意)なる仮名の女性に対する,アストロフェル(〈星を愛する者〉の意)のとどかぬ思慕を歌ったソネット集《アストロフェルとステラ》(1580-84作,91刊)は,イギリスにおけるペトラルカ風恋愛ソネット大流行の口火を切った。散文としては,牧歌郷アルカディアに流れついた2人の王子の恋物語《アーケーディア》(1590)があり,ルネサンス牧歌文学(パストラル)の重要な作品。さらには文芸全般に対するピューリタン側からの非難攻撃にこたえた《詩の弁護》(1595)は,詩の効用や本質を論じて,イギリス批評文学の出発点となった。ヨーロッパの戦場に奮戦し,戦死したとき,みずからの最期の飲水をかたわらの無名の一兵士に譲ったという美談が生まれたのは,文武両道に秀でたこの宮廷人がいかに理想化されていたかを物語る。
執筆者:


シドニー
Algernon Sidney
生没年:1622-83

イギリスの政治家。第2代レスター伯の次男。ピューリタン革命中は議会軍に参加し,共和制を支持して1652年国務会議の議員となったが,クロムウェルが護国卿に就任するとこれと対立,クロムウェルの死後スウェーデン公使となる。王政復古後亡命,77年帰国を許され,反国王活動を展開したが,83年ライハウス陰謀に荷担したとして処刑された。死後1698年に出版された主著《統治論》は民主主義政治論の古典のひとつである。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シドニー」の意味・わかりやすい解説

シドニー
Sydney

オーストラリア南東部,ニューサウスウェールズ州の州都。州東岸に位置し,オーストラリア最古・最大の都市で,メルボルンと並ぶ経済,文化の中心。ポートジャクソン湾南岸の都心部を中心に南はボタニー湾南岸およびリバプール,キャンベルタウン,西はパラマッタを経てブルーマウンテンズ山麓のペンリス,北はホークスベリー川にかけて広がる。1788年にイギリスの軍人アーサー・フィリップによってオーストラリア最初の流刑入植地として建設され,オーストラリアの歩みとともに発展。ニューサウスウェールズ州の人口,商業,金融,工業などが著しく集中し,人口は州の約 60%,工業生産額は大半を占め,機械,繊維,食品加工のほか,近年は石油精製が重要。都心部には官庁や企業のオフィス,商店街が集中し,シドニー・オペラハウスをはじめ植物園,博物館,美術館,図書館などの文化施設や,1840年代建造の教会,酒場をはじめ多くの歴史的建造物や総督公邸,中央郵便局,市庁舎,州議会議事堂などがある。オーストラリアで最古・最大のシドニー大学(1850)など二つの大学やボンダイビーチも近い。湾の北側はハーバーブリッジや連絡船で都心部とつながり,タロンガ動物園,大学,マンリービーチのほか住宅地が広がる。南のボタニー湾岸には国際空港,重化学工業地区があり,湾口にはジェームズ・クック上陸記念碑がある。都市圏面積 1万2406km2。市域面積 26.7km2。都市圏人口 442万9034。市域人口 16万9501(2011)。

シドニー
Sidney, Sir Philip

[生]1554.11.30. ケント,ペンズハースト
[没]1586.10.17. アルネム
イギリスの軍人,政治家,詩人,批評家。名門の出身でエリザベス1世の寵臣。オックスフォード大学に学び (1568~71) ,F.グレビルや W.カムデンと交遊。大陸各地を旅行 (72~75) 。帰国の翌年エセックス伯ウォルター・ドゥブルーの知遇を得,その娘ピネロピー (ソネットの「ステラ」) を知った。 1578年文学者グループ「アレオパガス」に加わって E.スペンサーと親交を結び,この頃から「ステラ」にあてたソネットを書きはじめ,81年頃には妹のペンブルック伯夫人のために小説『アーケイディア』 Arcadia (90刊) を書きはじめた。 83年フランセス・ウォルシンガムと結婚。 85年フリシンゲン (オランダ) の総督となり,翌年ズトフェン救援軍に志願,9月 22日致命傷を受けた。瀕死の兵士に自分の水を与えた話は有名で,当時の紳士の理想像,騎士道精神の典型として敬慕された。その死は全国民から惜しまれ,スペンサー作の『アストロフェル』をはじめ 200編に上る哀歌が捧げられた。著書は2編の詩を除いてすべて死後出版。作品に,上記のソネット連作『アストロフェルとステラ』 Astrophel and Stella (91盗版,98正式出版) ,『詩の弁護』 (95,An Apologie for Poetrieと The Defence of Poesieの2版で出版) など。

シドニー
Sidney, Algernon

[生]1622. ケント,ペンズハースト宮
[没]1683.12.7. ロンドン
イギリスの政治家。レスター伯ロバート・シドニーの孫。詩人 E.ウォラーに「サカリッサ」 Sacharissaとうたわれた美女ドロシー (サンダーランド伯妃〈1617~84〉) の弟。清教徒革命に議会軍として参加し,マーストンムーアの戦いで負傷した。 1646年下院議員,47年アイルランド騎兵軍司令官,48~50年ドーバー総督。 52年国務会議の委員に選ばれたが,翌年成立の護国卿政権に反対して辞任。 59年護国卿体制崩壊時に再び国務会議委員となり,大使としてデンマークにおもむいたまま王政復古を迎え,大陸に残留。 77年帰国。当時フランス王ルイ 14世から年金を受けたともいわれる。共和主義に近い思想をもち,シャフツベリー伯 (初代) の逃亡後,ホイッグ党指導者の一人になったが,83年ライ・ハウス事件に加担したとの疑いで G.ジェフリズに裁かれ,証拠不十分のまま反逆罪で斬首された。

シドニー
Sidney, Sir Henry

[生]1529.7.20. ロンドン?
[没]1586.5.5. シュロップシャー,ルドロー
イギリスのアイルランド総督。ジェントリーの家系に生れ,1556年より3年間義兄サセックス (伯)のもとでアイルランドの大蔵副総裁。 65年義兄の後任としてアイルランド総督に就任。 67年策略によりゲール最大の族長 S.オニール打倒に成功。 71年解任されたのち,75年再任されたが,勝手な課税強制で恨みを買い,78年解職された。

シドニー
Sydney

カナダ,ノバスコシア州ケープブリトン島北東岸にある都市。 1783年,アメリカ合衆国の独立に反対したニューイングランドの人々 (王党派) の避難地として建設され,1820年ノバスコシアに合併されるまでケープブリトンの首都であった。 18世紀初めスコットランド高地地方からの移民で人口が増加し,さらに 19世紀から始った製鉄業および石炭採掘で一層発展した。カナダの四大製鉄業地の一つで,グレースベイ,ニューウォーターフォードとともにシドニー工業地帯を形成している。大陸横断のカナダ国有鉄道の東の起点。人口2万 6063 (1991) 。

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百科事典マイペディア 「シドニー」の意味・わかりやすい解説

シドニー

オーストラリア南東部,ニュー・サウス・ウェールズ州の州都。ポート・ジャクソン湾に臨むオーストラリア最大の港湾都市。商工業,文化の中心。機械,化学,造船,織物,製糖,製粉などの各種の工業が集中し,羊毛,石炭,小麦,木材などの輸出港。ポート・ジャクソン湾をまたぐハーバー・ブリッジは有名。シドニー大学(1850年創立),教会,博物館,動物園,植物園,シドニー・オペラ・ハウス(1973年完成)など文化施設も整っている。2000年9月には第27回オリンピック大会が開催された。1788年最初の英国流刑植民地が市の起源。439万1674人(2011)。
→関連項目サーキュラー・キーシドニーオリンピック(2000年)

シドニー

英国の政治家,共和主義者。第2代レスター伯の次男。ピューリタン革命に際して議会軍に参加,1644年マーストン・ムーアの戦で負傷し,翌年から議会の議員となる。国王処刑後の共和政期には国務会議の議員として共和政の確保につとめたが,1653年のクロムウェルの護国卿就任に反対して辞職し,故郷に隠棲。王政復古とともに大陸に亡命したが,1677年許されて帰国。共和主義の立場から反国王運動に加わり,1683年ライハウス陰謀に加担したとされて,斬首刑に処せられた。死後の1698年に出版された主著《統治論》は彼の共和主義を明らかにしている。

シドニー

英国の詩人,軍人。エリザベス朝の典型的人物で文武ともにすぐれ,衆望を集めた。スペイン軍との戦いで戦死したが,臨終のとき部下にコップの水を譲った挿話は有名。ロマンス《アルカディア》(1590年),ソネット集《アストロフェルとステラ》(1591年)などがあり,《詩の弁護》(1595年)は詩論の古典。
→関連項目エセックス伯スペンサーディー

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デジタル大辞泉プラス 「シドニー」の解説

シドニー

《Sydney》オーストラリア海軍の航空母艦。建造中断となっていたイギリス海軍のマジェスティック級航空母艦「テリブル」をオーストラリアが買い取り、竣工させたもの。1948年就役。1950年代には国連軍に所属し朝鮮戦争に参加。1960年代には輸送艦としてベトナム戦争を支援。1973年退役。

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世界大百科事典(旧版)内のシドニーの言及

【オーストラリア】より

…西斜面はとくにゆるやかで,中央低地に連続する。東部高地の古生層にも西部台地の先カンブリア層に次いで金属鉱床の発達が見られ,またクイーンズランド中部およびニュー・サウス・ウェールズ中部の堆積層には主として古生代末期(二畳紀)に形成されたボーエン炭層およびシドニー炭層が見られる。さらにビクトリア東部の第三紀層では褐炭の埋蔵が知られている。…

【ニュー・サウス・ウェールズ[州]】より

…面積80万1600km2,人口617万(1996)。州都はシドニー。年降水量は海岸部(1000mm以上)から北西部の内陸(200mm以下)へと順次減少する。…

【エリザベス時代】より

… 散文の分野では,おびただしい量の宗教的著作と歴史編纂,航海記録と並んで,ホメロス,プルタルコスなど古典の翻訳が盛んにおこなわれる一方,現実社会の諸相を風刺的に描くパンフレットや,自然と人生の諸問題を哲学的に省察する文章も,多くものされた。また,華麗な文体で書かれたジョン・リリーの恋愛物語《ユーフュイーズ》やフィリップ・シドニーの牧歌的ロマンス《アーケイディア》はイギリス最初の小説として,1611年に公刊された《欽定訳聖書》とともに,文学史上特記さるべき地位を保っている。詩の分野では,絵画的描写と音楽美にあふれたエドマンド・スペンサーの長大な寓意叙事詩《神仙女王》が名高いが,ソネットをはじめとするさまざまな詩形の短い抒情詩も流行した。…

※「シドニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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