斎藤彦内(読み)さいとう・ひこない

朝日日本歴史人物事典 「斎藤彦内」の解説

斎藤彦内

没年寛延3.7(1750)
生年:宝永6(1709)
江戸中期,奥州彦内騒動の頭取,義民。伊達郡長倉村(福島県伊達郡伊達町)組頭。寛延2(1749)年9月桑折代官所支配の信夫・伊達郡68カ村は宮代村(福島市)山王社で年貢減免,延納願いなどを協議し,彦内,鎌田村(福島市)源七,伊達崎村(伊達郡桑折町)半左衛門を頭取に選出した。12月強訴におよんだが,代官所は福島・仙台藩の加勢一揆勢を鎮圧,翌年7月頭取3人は村境の桑折村(桑折町)産ケ沢で死罪となった。現在伊達町福源寺境内に墓と義民堂,薬師寺境内に大正7(1918)年「義民蓬田半左衛門・斎藤彦内・猪狩源七之碑」,処刑地に昭和54(1979)年「寛延義民蓬田半左衛門・斎藤彦内・猪狩源七顕彰碑」がある。<参考文献>『伊達町史』3巻

(阿部俊夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤彦内」の解説

斎藤彦内 さいとう-ひこない

1709-1750 江戸時代中期の一揆(いっき)指導者。
宝永6年生まれ。陸奥(むつ)伊達郡(福島県)長倉村の農民。寛延2年凶作にもかかわらず幕府増税をおしつけたため,一揆回状(天狗回状)を信夫(しのぶ)郡,伊達郡68ヵ村にまわし,1万7000人を動員して桑折(こおり)代官所に強訴。首謀者のひとりとして,寛延3年7月死罪となった。42歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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