ザンド朝(読み)ざんどちょう(英語表記)Zand

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザンド朝」の意味・わかりやすい解説

ザンド朝
ざんどちょう
Zand

イラン南部に中心を置いたイラン系王朝(1750~94)。首都はシーラーズ。ロル人の一分派ザンドの長カリーム・ハーンがナーディル・シャー死後の混乱期に、イスファハーンの支配権を握ったのが始まりである。彼の時代に南はバスラ、北はアゼルバイジャン、東はシースターンに至る領土を得た。しかしついにホラサーンを支配することはできず、また表面上はサファビー家の臣下の形をとっていた。ザンド朝治下では、シーラーズ、イスファハーンなどの都市の復興が進められ、産業が育成され、ヨーロッパ系企業との関係も強められた。またペルシア詩の分野では、前述の2都市を中心に文芸復興運動がおこった。

[清水宏祐]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ザンド朝」の意味・わかりやすい解説

ザンド朝
ザンドちょう
Zands; Zandīyah

イランの王朝 (1757~94) 。ゼンド朝ともいう。 18世紀なかば,ナーディル・シャー暗殺によりアフシャール朝の支配は崩壊し,各地にその部将たちが割拠したが,そのうちよりザンド族カリーム・ハーン・ザンド (在位 57~79) がこれら群雄を押え,ファールスのシーラーズを首都として全イランを統治した。彼はホラーサーンに存続するアフシャール朝を認めて,みずからはシャー (イランの王号) と号せず,内政に努める一方,ペルシア湾に進出しつつあったイギリスとの経済関係の進展に意を用いた。しかし,彼の没後,後継者争いとトルコ系カージャール族の台頭により同王朝は急速に衰退,ついに 1794年カージャール族のアーガー・ムハンマドによって滅ぼされた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android