翻訳|turnpike
近代イギリスの有料道路。一般には高速道路,有料道路をさす英語であるが,元来は通行料徴収のために道路をふさいだ障害物,通行料取立門を意味した。中世以来教区が維持してきた公道は,産業革命初期の交通需要の急増に対応しきれなくなった。このため議会は,各地に財団法人trustを認可して道路建設にあたらせ,通行料の徴収権を認めた。これがターンパイクである。イギリス最初のそれは,1663年に認可されたハートフォードシャーからケンブリッジシャーへのもので,スコットランドでは1750年以降しかない。ただしイングランドでも,大発展を遂げるのは18世紀で,1750年までには全長971kmが開通し,ロンドンを中心としてマンチェスター,オックスフォード,ブリストル,バーミンガム,ドーバー,ポーツマスなどと結ぶ路線ができた。73年には一般ターンパイク法General Turnpike Actが成立,法人の設立が容易になった。1830年代までには,総計1000件の法人が成立,8000ヵ所の料金徴収所が設けられた。全長は3万5200km程度,イギリスの公道全体の6%に達した。
道路建設の新技術も,この制度のもとで大変化を遂げる。初期の技術者としては,盲目ながら泥炭層を固める技術をあみ出したメトカーフJohn Metcalf(1717-1810)が知られているが,より決定的な技術革新は,J.L.マッカダムによってなされた。いまだに〈マッカダム〉の名でよばれている彼の技術は,小石を何層にも敷きつめて排水をよくするとともに,荷馬車の通行にも耐えられるようにした道路舗装の方法である。
ターンパイクの建設は,交通の便を一挙に増したものの,他方では通行税の徴収に不満をもつ地元民衆の反感を買うことが多く,しばしば大暴動の原因ともなった。南西部(1730前後),ヘリフォードシャー(1732),リーズ(1753)などの暴動はとくに激しかった。また,経営的には,すべてが成功したわけでもないが,その社会的・経済的効果は計り知れないものがあり,産業革命の進展を支えたといえる。1864年以後は議会が順次廃止したほか,自然消滅したものもあり,いまでは二つを残すのみといわれる。
執筆者:川北 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…通行または利用する者から料金を徴収することのできる道路。英語ではターンパイクturnpike,トールロードtoll roadという。本格的な普及をみせたのは17世紀半ばからのイギリスで,18世紀後半から19世紀前半にかけて有料道路の全盛期を迎えている。…
…馬車交通そのものも,ローマ時代から進歩のない舗装技術に頼っていたために,道路の状況が悪く,十分には機能しなかった。したがって,河川改修とともにターンパイク,つまり有料道路の建設が交通革命の端緒を開く。最初の有料道路は1663年に議会で承認されているが,法律上その建設が認可された総延長距離は1730年までに898マイル(約1440km),50年までには1382マイル(約2210km)に達し,50,60年代にはさらに激増した。…
…通行または利用する者から料金を徴収することのできる道路。英語ではターンパイクturnpike,トールロードtoll roadという。本格的な普及をみせたのは17世紀半ばからのイギリスで,18世紀後半から19世紀前半にかけて有料道路の全盛期を迎えている。…
※「ターンパイク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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