福島県中通り北部、伊達郡(だてぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)伊達崎(だんざき)、半田、睦合(むつあい)の3村と合併。町の中央部をJR東北本線、国道4号、東北自動車道がほぼ並行して走る。中世は伊達氏、江戸時代は米沢(よねざわ)藩や幕府の支配を受け、幕府の代官所も置かれ、また奥州街道の宿駅であった。幕府直営の半田銀山は最盛時には佐渡、生野(いくの)(兵庫県)と並ぶ産出量を示した。町域を灌漑(かんがい)する上・下の西根堰(にしねぜき)は米沢藩支配の1632年(寛永9)までに開削された。養蚕が盛んであったが衰退し、近年では米作のほか、モモなどの果樹栽培が盛ん。また紙器、果物缶詰、自動車ブレーキ部品などの工場がある。国の重要文化財指定を受けた旧伊達郡役所も復原された。伊達氏ゆかりの桑折西山城跡は国指定史跡。北部に半田山自然公園がある。面積42.97平方キロメートル、人口1万1459(2020)。
[渡辺四郎]
『『桑折町誌』(1969・桑折町)』▽『『桑折町史』全10巻(1985~2005・桑折町)』
福島県北部,伊達郡の町。人口1万2853(2010)。中通り北部,阿武隈川中流左岸に位置し,西は福島市に接する。源頼朝の奥州征伐の後,伊達氏が西部の万正寺の赤館に城を築いた。中心の桑折は江戸時代は奥州街道と羽州街道の分岐点の宿場町として発達し,阿武隈川舟運の中継点でもあった。慶長期(1596-1615)に開発された北部の半田銀山は江戸後期に最盛期を迎え,佐渡や生野と並び称される有力な銀山となり,幕府の直轄地として桑折代官所が置かれた。明治期には伊達郡役所が設置され,中通り北部の中心地として発展した。旧郡役所は木造2階建て,物見塔のある西洋建築で重要文化財に指定されている。第2次大戦前までの農業は米作,養蚕が中心であったが,戦後養蚕に代わって桃,リンゴなどの果樹栽培が盛んになり,近年は施設園芸による野菜の生産も増加している。昭和初期に生糸工業が立地し,小規模ながら繊維,食品,電気機器工業がある。福島市との交通の便がよく商業は振るわない。JR東北本線,国道4号線が通じる。
執筆者:佐藤 裕治
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