均役法(読み)きんえきほう

改訂新版 世界大百科事典 「均役法」の意味・わかりやすい解説

均役法 (きんえきほう)

朝鮮,李朝で1750年に行われた軍制・財政改革大同法と並ぶ大改革の一つ。李朝では両班ヤンバン),奴婢以外の一般民衆(常民,良人)の成年男子は軍役を課された。はじめは正軍1名と保(奉足)3~5名で1役戸を編成し,出役する正軍に保が納布して正軍の家計を支える体制をとった(戸保上番制)。しかし李朝後期になると,重要な中央軍の一部には戸保上番制が残されたが,全般に綿布だけを役所に納める軍役(納布軍)が増大した。他方,これに伴って,主として私奴に課役・出役させる操練軍束伍軍)が編成され,これが地方軍の主体となっていった。納布軍は年2疋納布が標準とされた(ただし,年1~1.5疋のものもあった)が,1750年,これを年1疋に半減(すべてを年1疋に統一)し,その減収分を結銭(結米),海税(漁・船・塩税),選武軍官布,隠田摘発などで補うことにした。これが均役法である。結銭は1結(結は土地面積の表示。〈結負制〉の項を参照)につき米2斗あるいは銭5銭を徴収する土地課税であった。海税は一種流通税であり,選武軍官布は良人上層の適役者を選武軍官として登録させ,納布させることにしたものである。均役法でも戸保上番制は少なからず存続し,納布軍の納布も成年男子数を基準とした人頭税的性格のものであったが,しかし均役法は中央軍事財政における土地税・流通税の比重を高め,力役原理主体の体制を大幅に後退させた重要な改革であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「均役法」の意味・わかりやすい解説

均役法
きんえきほう
Kyunyǒk-pǒp

朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 時代の税法。英祖 28 (1752) 年に,軍事費を維持し,国民の租負担の軽減と平均化をはかるために定めた。朝鮮王朝では中宗 (在位 1506~44) 代以降,一般良民に兵役代価として,16~20歳までの男子から1年に布2匹 (軍布) を徴収していた。しかし自作農民たちも書院に所属するなどのあらゆる方法で脱税し,事実上,軍布納付者は貧困者だけになった。また徴布方法においても死者や赤子からも布をとる,いわゆる白骨徴布,黄口簽丁 (せんちょう) などの弊害が起きた。この対策として,英祖 26 (1750) 年に均役庁をおき,軍布を半減して1匹と定め,その不足額を漁場税,塩税,船舶税の徴収と隠し田の摘発,軍役逃避者からの徴布などで補充することにした。しかし,それだけでは不十分であったため,同 28年に均役法を公布した。その内容には上記の諸税のほかに,西北両道以外の6道の田1結に2斗あるいは5銭を課す結米と,凶作用備蓄の穀物中 10万石を軍用米とし,その半分を売買して利殖をはかることとした。この税法は朝鮮の財政史上注目すべきものであった。

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