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斎藤方策 さいとう ほうさく

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

斎藤方策 さいとう-ほうさく

1771-1849 江戸時代後期の蘭方医。
明和8年生まれ。大坂で小石元俊(げんしゅん)に,江戸で大槻玄沢(おおつき-げんたく)にまなび,大坂で開業。文政5年コレラ流行のときその診断・治療法を考案した。のち萩(はぎ)藩医。中天游(なか-てんゆう)と共訳の「把而翕湮(パルヘイン)解剖図譜」がある。嘉永(かえい)2年10月8日死去。79歳。周防(すおう)(山口県)出身。名は淳。字(あざな)は素行。号は九和,孤松軒。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

斎藤方策

没年:嘉永2.10.8(1849.11.22)
生年:明和8(1771)
江戸後期の蘭方医。周防国(山口県)佐波郡の生まれ。名は淳,字は素行,号は九和,孤松軒など。大坂で小石元俊 に,江戸で大槻玄沢に師事し,大坂(当初は江戸堀5丁目)に蘭方医として開業,おおいにはやった。藍塾なる家塾を開いて漢蘭の両医学を教授。文政5(1822)年のコレラ流行に際しては処方を考案,使用。その後,長州(萩)藩医となる。中天游との共訳『玉函・把爾翕湮解剖図譜』(1822)のほか『海上備要方』の著がある。天王寺の梅旧院に葬る。<参考文献>中野操『大阪蘭学史話』

(長門谷洋治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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