朝日日本歴史人物事典 「斎藤方策」の解説
斎藤方策
生年:明和8(1771)
江戸後期の蘭方医。周防国(山口県)佐波郡の生まれ。名は淳,字は素行,号は九和,孤松軒など。大坂で小石元俊 に,江戸で大槻玄沢に師事し,大坂(当初は江戸堀5丁目)に蘭方医として開業,おおいにはやった。藍塾なる家塾を開いて漢蘭の両医学を教授。文政5(1822)年のコレラ流行に際しては処方を考案,使用。その後,長州(萩)藩医となる。中天游との共訳『玉函・把爾翕湮解剖図譜』(1822)のほか『海上備要方』の著がある。天王寺の梅旧院に葬る。<参考文献>中野操『大阪蘭学史話』
(長門谷洋治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報